夢なき子

夢、なんて大袈裟なものを持つことが出来なくても全然問題無い。夢は夢のままであり続ける。つまり、リアルではなくどちらかというとファンタジーの産物で、頭からお花を咲かせたい、とかそういう類の理想が夢では無いか。だからこそ叶ったときの感激もひとしおなのだろう。同級生が持っていた羽生善治の下敷きにも「夢は持たない。持つのは目標だ」という格好良い言葉が書かれてあった(それを何故か自分は20年以上も経った今でも覚えている。子供ながらに、ええ言葉やん素敵やん、と顎をしゃくらせたのだろう)。仕事によっては毎月のように何らかの目標を掲げて邁進しなければならない人もいる。勿論、夢も目標も、持つことは自由であるし、持っていて悪いことは何も無い。大いに持てば良い。けれども、目標…それだって格が高い、意識が高い、そんなものすら無い人だって、この現代社会ではきっと沢山いる。

ただ漠然と、あぁどうしよっかな~、と苦笑いしながら過ぎていく、夢なき子のお前とおれ。

私はいつも、○○がやりたい、といった言葉を口にする。それは夢や目標といった重いものでは無く、もっと身軽な好奇心から来る思い付き、欲望である。そして、それらは、とりあえず口に出すようにしている。ノートに書くとか携帯にメモるのも良いが、一番は口に出して、誰かに話すことである。こないだも、何となく友達と会話していたら、脈絡も無く不意に、クレープ焼きたいなぁ、と口から出て、友達は、なんで?と聞くのだが、いや何となく、と自分は言うのみであった。本当に、特に理由も意味も無いのである。何となくそのとき、クレープ焼きたいと思ったから、そのまま、クレープ焼きたい、と自分は言ったのだ。けれどもそれから、自分はクレープのことを考え、由来や焼き方などを調べたりしているうちに、クレープの元々の意味は「ちぢれ毛」である、ということを知り、ちょっと面白くて、何か、それだけで、あのときクレープ焼きたいって言って良かったな、と思ったのだ。だから、夢も野望も目標も何も無いんだアタイ、とか薄暗いことは言わずに、少しの好奇心と欲望を大切に持っておけば良いと思う。

何もいりません。舞台に来てください。