精神科医の目線で おかえりモネ をふりかえる 

みなさんこんにちは。とうとうおかえりモネ、最終回を迎えてしまいましたね。あの透明感のある安達ワールドにまだ浸っていたい!と喪失感をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
筆者も今朝は3分前からコーヒー片手にテレビの前に正座してスタンバイしました!
私は安達奈緒子さんの作品を初めて見ましたが、緻密なセリフのつながりにより物語が丹念に織り上げられていて、ときどき鳥肌さえ立ちましたね。  
このドラマは精神医学的にも興味深く、登場人物がそれぞれの役目を持ちながら不自然にならず、有機的にストーリーを織りなしていたと思います。以下、セリフは多少不正確ですが、印象的だったことをいくつか。

まず何より気になるのは、亮の存在。
亮は、震災で母親を亡くし、父親も人生を失いかけ、それらを背負って漁師という地元色の強い職を父から継ごうとしています。当然、地元から離れることできません。その全ての要素が震災の傷や土地のしがらみ、苦しみを体現しており、いわば十字架を背負ったような非常にシンボリックな人物です。大げさに言えば亮は、人物でありながら震災の傷や地元そのものとしての存在も担っているように思います。

最終回で、ついにタイトル「おかえり、モネ」のセリフが亮の口から出ました。モネが島に帰った時にはお母さんさえなかなか出て来ず、バタバタした中でのさみしい、言葉だけの「おかえり」でした。あれはモネを取り巻く人々の心境やモネ自身の心理を物語っていて、振り返ると「形としては帰ってきたもののまだ歓迎されていない」ことを象徴していました。
それが、それぞれの心の荷物をおろすことができた今、みんなの心の「箱」を開け、それを直視することができた時、やっとみんな心からモネの帰島を歓迎できたのですね。その本当の「おかえり」を震災の傷そのものとも言える亮に言わせていたのは、やっとモネが震災の日から抱えていたものから「許された」「受け入れられた」という象徴的な場面でした。思えば、この心からのおかえりのためにたどり着くための、心の旅に私たちは半年間伴わせてもらっていたのですね。
さらに、今度はモネが未知を行ってらっしゃい、と送り出す立場になるという、、、許すこと受け入れることが紡がれていく様子が希望の一筋となりますね。

ちなみに、妹の未知がその亮に惹かれていたのは、ただの恋愛感情だけでなく、未知が震災の時に背負った記憶(祖母のこと)や地元の呪縛(=亮)から逃れられないという意味合いも込められていたように感じます。
さらに未知と亮は2人で震災で直接傷を受けた当事者そのものと、傷を与えたという後ろめたさから逃れられないもの、として対になっていました。
2人がともに過去を乗り越えて「普通に笑える」ようになって良かったですね。しかし同時に、耕治の「それで胸を撫で下ろしそうでこわい、そんな簡単じゃねえだろ」というセリフも響きましたね。このドラマでは綺麗事という表現を批判的につかいながらも、綺麗事でもいい、とモネに言わせていて、亜哉子が耕治のことを「明るくてまっすぐな何が悪いんですか」と言ったその言葉と重なります。綺麗事は綺麗事にすぎないけれど、でもそれを言えない世の中にはしたくない、と人々の心に届く力を信じる気持ちと、でもそんな簡単で綺麗には終わらないよね、という相矛盾したものをそのまま抱える姿勢が、誠実でひたむきで、多くの人々の心に響いたのではないでしょうか。

つれづれと書きましたが、おかえりモネの制作に関わられた皆様、素晴らしいドラマをありがとうございました。



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