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創作はどんなカタチでも

今、ハチクロを読んでいると、美大が舞台なので、「絵を描きたくなる衝動をかられる人の存在」という部分に、大学のデザイン科出身の私は、とても共感できる。

私の幼い頃のその存在は、漫画家の「銀曜日のおとぎ話」の萩原睦美先生であり、「ダーク・グリーン」の佐々木淳子先生だった。

萩原睦美先生の鮮やかで優しい水彩画を描きたくて、ドクター・マーチンのインクを買った。

佐々木淳子先生の、ドラマチックなSF画を描きたくて、Gペンと丸ペンを買ってペン画を練習した。

中学の頃の私の成績は大体5で4がちらほら。
成績にブレがあった。
その中で安定してるのは美術だった。
3年間オール5 、10段階評価になってからは10 を取った。

描く絵はほとんど、壁に貼られ、卒業文集の表紙の「出発」がお題の絵は、表紙を飾り、本人がびっくりした。佐々木淳子先生の影響をもろに受けてるペン画だった。

蛇足だけど、ヤンキーが多い中学校だったので、貼られた絵が他の人の様に焼かれずに助かった。

実技付きの学科を含めた美術のテストは、学年一を取った。
実技のお題は、ピカソのゲルニカの続きを描けというものだった。

中3の担任は、アラフォーの快活な体育の先生だった。
何故か私を気に入ってくれ、私の「あの絵」が欲しいと言ってきた。
半透明で水色の、幾何学的で、立体的に集中線のごとくパースを付けた水彩画だった。

私は、本物は渡したくなかったので、自分の絵を模写して渡した。
全然納得のいかないものに仕上がってしまい、先生も不服そうに見えた。

私は高校に進んだ。学区一の進学校だったのに、学生の本分を忘れ、ブラバンに打ち込みすぎ、試験にパスする程度にしか勉強しなかった。

その高校で、毎年出版してる文集があった。
何か、「私が絵を描くらしい」と聞きつけた編集部の人が、私に絵を頼んできた。

表紙、裏表紙、扉絵、挿絵を任された。

表紙のお題は「グラスの向こうに街が見える」だった。
勝手に自分で決めたもの。

芸術の選択科目が美術だったので、多摩美術大学卒の先生に、グラスに映ったらこうはならないと指摘された。
確かにそう。観察が足りてない。

その頃、私はハレー彗星が来るのを、待ちわびていた。

扉絵は、砂漠を泳ぐ船を描き、航海士の的を描き、空中には宇宙の地図を描き、空には星を降らせ、右上に見えるか見えないか程度に、ハレー彗星を流した。

とても、気に入っている。

挿絵は部屋を描いた。

テーブルには、まだ料理の乗せられていない食器。絵の中に掛けられた額縁の絵には、万有引力の法則を象徴する林檎を逆さまにして、宇宙と対角線で繋げた。

子供は積み木で遊んでいる。
外では光々と、彗星が輝いているというのに、子供はそれに気づかず、遊んでいる。

裏表紙は無難に、ロンドンの街中を描いた。

進路を決める時が来た。

親兄弟のように、自然に理系に進む筈だったのに、勉強が足りてない。
好きな、地学か生物を選択したかった。

悩みに悩んだ。

私は口下手だったので、自分を表現するには、やっぱり絵だと思った。
高2で、美大受験用の冬季講習に参加した。
あまりの、基礎力の無さに愕然とした。

3年になって、本格的に学校帰りに、アトリエに毎日通うようになった。
受かる当てもない、美大。
同時にブラバンもやっていた私は、食欲と睡眠欲がせめぎあっていた。

通いながら、何度も何度も悩んだ。
少しずつ、評価されるようになり、壁に貼られるようになった。

1年目は有名美大しか受けなかった。
芸大は、石膏デッサンが大ハズレだった。
前から3番目の左端の席。
何の凹凸も特徴もない女性の石膏像「マリエッタストロッチ」。
夕方には西日が差してきた。
とてもじゃないけど、描けない。

2年目は総合大学の、美術学科を狙う事にした。
美大だと、人に偏りがあると感じたからだ。

一応、総合大学に受かった。
まず、ブラバンに友達と行った。音楽科の人が威張っていたので、二人して入るのを止めた。

他の友達に着いて行って、ふらりと
「生物自然研究部」に辿り着いた。
私は、仮面浪人するつもりだったから、部室に入り浸ってる割には入部しないので、同じ学年の人にいぶかしがられた。

結局、そのクラブが楽しくなり、私は卒業まで居座ってしまった。
美術を学び、鳥・虫・植物・山、多くの自然に触れる事が出来た。

農学部の人が多かったので、自然に生物を学んでいた。

卒業制作の時期が来た。

私は、初め「環境問題を訴えるポスター」を描こうとしていたけど、先生に却下され「抽象画」を描くよう指示された。

私は、リアリティのある仮想空間を描くのが好きだった。
難問過ぎて、8月までテーマが決まらなくて焦っていた。

ふと、本屋で詩集を2冊見つけ、やっと青写真が描けた。

「私の世界観」を描こう!

ミクロはマクロ
刹那は無限
死は生

冒頭は出会いから始まる。
人は見たいものしか、目に入らない。

クライマックスは、

【現在ー過去ー未来
生まれる前と、死んだ後
その中を流れる、血の鉄の星の輝き】

※お借りしている言葉です。

最後は、黄金率の螺旋で締め括った。
私のイメージする、無限の宇宙。

大体、そんな感じ。

試行錯誤の毎日だった。

結果、先生に大絶賛され、本屋に売り込みに行くように指南されたけど、二人の詩人の言葉を借りてるのでそれは出来ない。

この時、人生のテーマが出来たと思う。

「真理」の追及だ。
私の2つ名は「未来未知」になった。

卒業後にアラスカで、オーロラを見た。
めくるめく光のカーテン、落ちてきそうな満天の星空、普段は見られない天の川が大空を横切っている。

私の好きな本、立花隆の「宇宙からの帰還」位の衝撃だった。
私はオーロラ学の権威、赤祖父先生のテキスト本で勉強をした。
一眼レフカメラを駆使し、一枚オーロラの撮影に成功した。

概ね、私の道程は外れてなかった。

今、私は商業デザインをやりすぎて、自分の描きたい絵が分からなくなってしまった。

一つだけ、何十年も温めている、絵の構想があるのだけど、温めすぎて、卵の中で腐って、他の誰かにもう描かれてしまったかもしれない。

友達がある日、言った。
私は文章が上手いから小説を書いてみたら?

これをきっかけに私は、日記じゃなく、頭の中を、具現化するようにした。

私は今、言葉を紡ぎ、SNSの海に流して楽しんでいる。

この衝動が止まらなくなっている。

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