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幸福度が上がる7時27分のあいさつ



朝と夜の7時27分に「おはようございます」「こんばんは」と投稿することが日課になっている。

気がつけば2年半続けていた。なぜ続けてこれたのか、続けることで具体的に何を得ているのか考えてみた。


生活のリズムがととのう

「7:27のおはよう言ったら朝食つくろう」「7:27のこんばんわの前にお風呂上がれるように今入ろう」というように、この時刻を区切りにして生活している。

元々時間通りに動くことが苦手で、気を抜くといくらでもだらだらしたくなってしまう。子供がまだ未就学児なので、私が寝かしつけしないと子供達まで21時22時と寝る時間が遅くなってしまうので、特に夜のお風呂タイム(腰が重い)のひと押しになってくれているのがありがたい。

あいさつを始めたころは次女を産んだばかりで、授乳やオムツ替えにあけくれる文字通り「昼も夜もない」生活だった。でも、毎日決められた時間にあいさつをすることで、今の私にだって社会的行動ができてるじゃないか!と思えたことが嬉しかった。

動作であること

あいさつをするためはスマホを開き、投稿する画面を開き、入力して、送信する。

この動作が重要だと思っている。学校のチャイムやお寺の鐘の音を聞くのとちがって、自らが能動的に、する。だからルーティンになるし祈りになる。次の行動へのきっかけとして、音をただ聞くだけよりも自分の肉体を動かしているからスムーズに動ける(気がする)

そしてこの動作、スマホさえあればどんなときでもできるのがすごいと思う。病気でもできるし、運転中でも路肩にちょっとだけ停車すればできる。

どんなときでもできる動作、だから身体にリズムが刻まれやすいのではないか。

群れに参加できる

あいさつを投稿する場所にはほとんどの場合他人の投稿も存在する。あいさつをしにくる人のための投稿部屋だから。

滞在時間10秒でOK、在宅でも病気でも参加OK、あいさつという絶対に気分を下げないコミュニケーションがとれる、そう考えると参加コストは限りなく小さくすむ安心感のある群れである。

7:27に投稿部屋を少し眺めてると、常連さんがあいさつしていく。新しい人があいさつするとおっ!いいねと思う。時には1番乗りを競って送信ボタンの早押しに熱中する。

していることはあいさつだけなのに、仲間意識が芽生えていく。

初期の頃、祖母の家に泊まりにいっててすっかりあいさつを忘れたことがあった。あとから思い出して投稿部屋をみると、私があいさつをしていないことを心配する投稿があった。胸が熱くなったのを今も覚えている。

元々私は人間関係は深く、狭く、を好むタイプだ。あの頃は長年の会社員生活をやめたばかりだった。乳幼児育児中で、家族と友人の中でも本当に安心できる決まった人間としか関わっていなかった。

そんな中で、会ったこともなくあいさつだけの関係性の人たちに心配してもらえるなんて、そんなことがあるのか!そしてこんなに嬉しいものなのか!今まではこういった浅く、広く、の関係性に価値を感じていなかったけど、感動してしまった。

あいさつだけの関係性

そういえば思い出したけど、昔3ヶ月ほど鬱状態のときがあった。

長女を産む前の年に、臨月まで育った子を死産した。産休ギリギリまで仕事にでてたのもあり周りの多くの人間が私の大きなお腹の姿を見ていた。

育児もないしヒマしててもしょうがないと思い、2か月後仕事に復帰したものの、とにかくみんなに事情説明。ムリはしてないし悲しいしダメージはあるけど、元気だよ!としゃべり続けた。

でも数ヶ月ですべてに疲れて休職、夫以外の家族親戚友人職場と一切の連絡を断った。LINEの未読が200超えてたけど「もう誰ともしゃべりたくない」とそのままにしていた。

その時期にわたしが夫以外で顔を合わせてたのは、マンションの管理人さん、ご近所さん、スーパーの店員さん。みんな「あいさつだけの関係性」の人たちだった。

不思議と、元気にあいさつできる。わたしこんなに声出るんだーと思うくらい。今思えば、あいさつ以外の会話や気遣いをしなくてもいい(と自分が思える)関係性からくる安心感だったんだろうと思う。

あいさつには感情、気遣いをこめなくていい

こめてたら、あの時の私にはできなかった

そしてあいさつをすることで「他人とあいさつできてるんだから、私は大丈夫」という自分への安心感にもつながり、私は復活できた。

あいさつは心をこめなくていいけど心が満たされるという、無から発生するおトクな幸福なのではないかと思う。

あいさつ以上の関係性だと、あいさつそのものや他の会話において“おきもち”を込めてしまう。つまり消費してしまう。幸福経営がうまくいってるときはそこに経費をかけてもいいんだけど、赤字の人はよくない。

あいさつだけの関係性から、わたしは幸福を回復させてもらっていた。当時は気がつかなかった。このことに今回気がつけて本当に良かった。


あいさつしよう

あいさつ、すごい。
この文章にとりかかる前にはなかったけど、私の中にあいさつそのものに対する感謝が生まれている。

なぜあいさつを続けるのか、今やそこを疑問に思うことに疑問を感じる。幸福度あがるからやらなきゃソンすぎるよ。

そして7時27分のあいさつ仲間の人たち、あいさつのみで刹那の群れになる、そこに価値があることに気がつきました。いつもありがとうございます。

まだ未参加の方、あいさつだけの関係性もなかなかいいものですよ。

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