「どこをピークにするかポイントなんですけど、まだ自分の中で答えは出せずにいます」

『メッシと滅私』(吉崎エイジーニョ/集英社新書/2014)という、ウマいんだかウマくないんだかもうひとつよく分からないタイトルの本を読んでいると(しかも、メッシについては、ほとんど書かれていない)、「過去の(W杯)優勝国は、すべてキリスト教文化圏の国」だというハナシが載っていた。

しかも、男子だけでなく、女子も含めて。

しかし、その中で、唯一の例外がある。

それが、2011年のなでしこだ。

日本のブラジルW杯が、あまりにもあっけなく終わった。

予選リーグの中盤くらいから、さかんに2006年との類似点が言われていたが、いくらなんでも、最終戦の対南米チームに対する大敗はないだろうと思っていたら、なんのコトはない、モノの見事にそこまで同じ結果になった(しかも、スコアまで一緒)。

今回の惨敗の原因は、一体、何なのだろう?

同じく一次リーグの惨敗後、「フィジカルが弱い」と、日本代表の弱点を分析し、いろんな意味で日本中をアっと言わせたジーコ元監督の意見はともかく、今回、長谷部は、列強との「サッカー文化の違い」のようなコトを言っていた。

確かに、それはあるかもしれない。

ただ、フィジカルにせよ文化にせよ、同じ日本なのだから、男子と女子でそこまで世界に対して違いがあるとは思えない。

なのに、なぜ、こうも結果が違うのだろう。

ところで、初戦のコートジボアール戦で「?」と思い、次のギリシャ戦で確信したのだが、今回の日本は、選手達の動きが重そうに見えて仕方なかった。

しかも、期待値が高いからか、本田長友香川あたりが特にヒドいように思えた。

ただ、コンディションに関しては、間違いなく最高の準備をしているはずなので、なおさら不思議だったのだが、ある時、ハタとその理由に気がついた。

その3人に共通するコト。

それは、常に、W杯での優勝を公言していたというコトである。

つまり、彼らはコンディションのピークを、初戦ではなく、7月14日決勝戦に合わせていたのだ!!

……と、やり場のない脱力感を、自嘲気味の冗談で紛らわしていたのだが、どうやら、あながち、冗談でもないらしい。

冒頭の発言は、W杯前のアメリカ合宿で「決勝まで7試合あるが、いつ、ピークをもってくるか」という記者の質問への本田の答えなのだが……

……今でしょっ!

まぁ、結果が出てから見れば、聞く方も聞く方だと思うが、それはともかく、ビックマウスと言われ、周囲に叩かれるコトを覚悟で大きな目標を掲げ、周りを巻き込んで自分を成長させていこうとする本田の姿勢は、以前からとても感銘を受けていたし、リスペクトもしていた。

しかし、それがいつの間にか、自分が自分のコトバに感化されてしまい、まだ、何もしていないウチから、すでに達成されたかのような錯覚を起こしていたのではないだろうか。

今回、日本代表の試合を見ていて、もう一つスッキリしないのは、おそらく、試合に負けたり、これまでのサッカーが見られなかったコトではないと思う。

それは、選手達の姿から必死さが伝わってこなかったからではないだろうか。

もちろん、それはこちらのとらえた方だし、選手達は、必死にやっていたと言うだろう。

しかし、同じく惨敗だった2006年の第3戦の中で、ひとり奮闘しているように見える中田の姿には、素直に感動できたモノだ。

一体、日本はいつから勝者になったのだろう。

我々はまだ、完全なチャレンジャーのはずである。

前回の南アフリカでは、大会前のテストマッチでの散々な結果を受け、直前の選手達のミーティングで、「俺達は弱いんだ!」という闘莉王の発言から浮上のきっかけを得たと言われている。

日本人の精神の特徴として、既に書いた「正々堂々」と並んで、もうひとつ、「謙虚」があると思う。

それが行き過ぎて自信をなくしたり、変に自己卑下をしてはいけないが、日本では、どんなに成長しても、いや、スゴいヒトになればなる程、「いえ、自分なんかまだまだっス。日々、これ精進っス」といった感じなのが、模範とされる姿だったはずである。

世界から賞賛された、試合後のゴミ拾いに見る公共性や献身性に加え、常に謙虚な姿勢で、正々堂々と戦う。

そんな日本文化の特徴は、決して弱みではなく、キリスト教文化が席巻する世界のサッカー界に対抗できる可能性があるコトは、既に、なでしこが証明しているのだ。

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