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緊急事態宣言 初日 1940年の悪夢再び!

菅政権及び内閣の政治手法や決定の判断を見ていると極めて危険としか思えない。まるで終戦時の様だ。

政策の逐次投入!

新型コロナウィルス禍感染拡大の現下で進行する戦後最大規模の大不況に対して、菅総理及び政府の現在の対応で全く十分であり最悪の泥縄式対応と国民の指弾を受けている。仮に現在日本が置かれた困難な状況を緊急事態及び戦時有事下とすれば…

先の敗戦で日本政府は同様の取り返しのつかない過ちを繰り返している。遡る事78年前。太平洋戦争中の1942年8月から行われたガダルカナル島攻略作戦で大本営は圧倒的に優勢な米軍上陸部隊に対し、3たび「戦力の逐次投入」をして大惨敗。最終的には(昭和18年)1943年2月にはガ島から撤退するに至った。それまで無敗を誇った日本陸軍の完全敗北である。これ以降、太平洋戦争の戦局、趨勢は兵站物量で圧倒的に優位に立つ米軍へと急速に傾いていく。 

なぜこういった「まともな」決意をする割に、日本軍は三度敗れたのか。原因は、大本営が本格的に危機感を抱いたとき、時すでに遅く、彼らの「まともな」決意を実行するためのインフラが欠如していたことに他ならない。

つまり、「本気で戦おう」と思った時にはすべてが遅く、「本気で戦う」だけの国力とインフラが既に尽きてしまった後だったのである。

ガダルカナルの悲劇から学ぶべき”戦訓

78年前の悲劇は、後世を生きる私たちにあまりにも多くのことを伝えている。

1)敵の兵力や性質をいたずらに過少評価しないこと(コロナウィルスを単なる風邪であるとか、日本は欧米諸国と比較して感染者数、重症患者、陽性率、高齢の死亡者がら極めて低く抑えられている等々の科学的根拠のなき楽観論や感情論)

2)巨大な敵に対しては、最初から全力を以て対処対抗すること

3)「本気で戦おう」と重い腰を上げた時にはたいていの場合、その決意を実行するリソースが尽き果てているので注意すること 

新型コロナウイルスとの闘い有事であり「戦争」なのだとしたら、この戦訓は私たちへの示唆に富んでいる。2020年に入っての景気後退は確実である(―その前から日本経済は消費増税で足腰が弱っている)が、その後退局面は現在おおむね出発点の段階であり、まだ中央政府が対応するだけの余力が僅かに残されている。日本の財政状況は決して良いとは言えないが、十分な外貨準備金と政府資産等を持っており、「国民全員」に大胆な財政出動をするだけの余力はまだまだ残されている。要するに増援可能な主兵力がまだ温存されている状態である。

 本格的に景気が悪化し、GDP成長率、株価や企業の決算、失業率等の指標等が恐慌的となった時に「本格的にコロナ不況と戦おう」と決意したところでもう体力は残っていない。ガダルカナル四度目の攻撃は、失敗してはならないのである。



 先の大戦に於ける大惨敗から78年。日本は再び歴史に対して盲目となり、同じ失敗を繰り返すのだろうか?

戦争末期の政治史は、「終戦派」と「継戦派」の対立を軸に語られることが多い。いわゆる「終戦派」が東条内閣末期に台頭し、彼らの「終戦工作」が成功していくという図式である。すなわち、1944年7月7日にサイパンが陥落すると、水面下で「終戦工作」が行われ、鈴木貫太郎や東郷茂徳ら「終戦派」による東条内閣の打倒が成功する。翌年、ナチスドイツが降伏すると、「終戦派」は秘密御前会議を開催し、共産国ソ連を仲介とした「終戦外交」を試みた。さらに、広島と長崎へ原爆が投下され、ソ連が対日参戦すると、「終戦派」はこの外圧を利用して、昭和天皇による「聖断」によって「継戦派」を封じ込めた。、水面下で「終戦工作」が行われ、「終戦派」による東条内閣の打倒が一応成功する。翌年、ドイツが降伏すると、「終戦派」は秘密御前会議を開催し、ソ連を仲介とした「終戦外交」を試みた。さらに、原爆が投下され、ソ連が参戦すると、「終戦派」はこの外圧を利用して、「聖断」によって「継戦派」を封じ込めた。

陸軍部内には一条件論(国体護持)は受け容れられないという四条件論(国体護持・自主的武装解除・自主的戦犯処刑・保障占領拒否)、決戦後の方が有利な条件を得られるという決戦後交渉論、ソ連の仲介によって有利な条件が得られるというソ連仲介論、内陸部に立て籠もって米国の戦意喪失を狙う徹底抗戦論があった。仮に米国が国体を否定していれば時間が経過してもそれ以上悪い条件にはならない為、天皇ですら戦争継続を支持したものと考えられる。また仮にソ連が日本に好意的な条件を提示していれば違った形での戦争終結が実現していたかもしれないと思うのは全く誤算だと言う事を知る事になる。

日本降伏に果たした軍事的圧力には、沖縄陥落、ソ連参戦、原爆投下があり、降伏の条件や時期の問題に影響を与えた。条件面でいえば、天皇は沖縄陥落により複数条件論から一条件~「無条件」論まで後退、陸軍はソ連参戦により日露~日清戦争前復帰論から四条件~「一条件」論まで後退、海軍は原爆投下~ソ連参戦により四条件~一条件論から「一条件」論にまで後退した。時期面でいえば、天皇は沖縄陥落により好機交渉論から本土決戦前交渉論、陸軍はソ連参戦により本土決戦後交渉論から交渉容認論、海軍は原爆投下・ソ連参戦により即時交渉論となった

これが8月15日までの終戦への史実である。ガ島玉砕の時点、又は東條英機退陣の直接的な原因となったサイパン陥落時点で降伏するのが近代戦の常套だろう。サイパンから一年以上も経過しての敗北は国家自体を崩壊に追い詰める事になった。ましてやスターリンのソ聯共産党に終戦の仲介を期待する、遡るとヒトラーのナチスドイツと何の国益にならない日独伊三国同盟を締結、国際連盟脱退という外交的大失態も、何もかも外交力の脆弱性を露呈してしまった惨憺たる結末。これは国家としてインテリジェンス能力の欠如だけに留まらず、大本営の無能振りに政治に対する稚拙が招来した悲劇であろう。江崎道朗氏の下記著作がとても参考になる!

菅総理と内閣が行なっている事は、正に敗北に向かってひたすら走る、大本営と敗戦の日本とオーバーラップする、軍事行動のほぼ全て、やる事為す事が失敗していく。最後は追い込まれて最悪の選択をせざるを得ない、終戦時の政治指導者と同じ。




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