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アルメニア美女

アルメニアの首都エレヴァンに着くと、最初に気づくのはひとびとの風貌が周辺の国とは明らかに異なることだ。「アルメニアは美人の産地」などともいわれるように、目鼻立ちがはっきりした印象的な顔立ちをしている。

 ちょっと調べたみたところ、アルメニア人の起源については2016年に遺伝子解析の結果が発表されていて、それによると、インド・ヨーロッパ語を話すひとびとが紀元前3000~2000年頃にこの地に移住し、紀元前1200年頃にはアルメニア文明が成立し、その後は大きな遺伝的混交を体験することなく孤立して暮らしてきたとされる。遺伝的にもっとも近いのは、新石器時代のヨーロッパ人だそうだ(Genetic evidence for an origin of the Armenians from Bronze Age mixing of multiple populations)く

ローマに先立って紀元301年に世界ではじめてキリスト教を国教化したことで知られるように、アルメニア各地に古い教会や修道院が残っているが、首都エレヴァン市内には観光名所はあまりなく、ソ連時代の1970年につくられたカスケードと呼ばれる大階段と、歴史博物館や古文書保管所(マテナダラン)などを訪れるくらいだ。カスケードの頂上の展望台からは、空気の澄んだ日にはアララト山を望むことができる。

旧訳聖書でノアの箱舟が漂着したとされるアララト山はアルメニア人のこころの故郷だが、現在はトルコ領で気軽に訪れることはできない。オスマン帝国末期にトルコナショナリズムが高揚するなか、領土内のアルメニア人が強制移住の対象となり、その混乱で多くの生命が失われた(その結果、トルコ領内にアルメニア人はほとんどいなくなった)。これをアルメニア側では「虐殺」と呼び、トルコがそれを認めないため、「歴史問題」をめぐって両国関係はきわめて険悪になっている。そのため、エレヴァンからアララト山を眺められるよう展望台をつくったのだろう。

アルメニアは九州程の面積で、観光地はエレヴァン郊外に点在しているので、車をチャーターして回るのがもっとも効率的だ。市の中心にある共和国広場に観光タクシーがたくさん停まっているので、ドライバーと交渉すればいい。

 世界遺産のガルニ神殿とゲガルド修道院、アララト山を望むホルヴィラップ修道院、アルメニア使徒教会の総本山エチミアジン、アルメニア人虐殺博物館を半日かけて回って4万ドラム(約9000円)だった。

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