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ティファニーで朝食を

先日読んだ小説『BUTTER 』で、男たちから次々に金を奪った末、3件の殺害他で確定死刑囚となっている木嶋佳苗のモデル、梶井真奈子が、獄中インタビューのシーンで、
「私はホリー・ゴライトリーだ』と答えるところがある。ホリー・ゴライトリーとは、あの『テイファニーで朝食を』のヒロインである。

今回読んだトルーマン・カポーテイ原作の翻訳、村上春樹氏によれば、映画『テイファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーンの印象が強過ぎるそうだ。ヘンリー・マンシーニの音楽も。
勿論それは肯定的な意味合いである。

原作映画化に際し、ホリー役がオードリー・ヘップバーンと聞いて、著者カポーテイは、イメージが全然違うと嫌がった。当初ホリーの配役はマリリン・モンローが第一候補だったらしい。
(マリリンがホリー役なら、全然違う映画になったろう。それはそれで観たい気もするが)

またオードリー自身も、オファーを貰った時、
妊娠しており、高級娼婦役(※原作も映画もホリーが娼婦と断定出来る描写はない)と聞いて拒否感を示したとも言われる。

故に映画では、原作ホリーが仄めかす、思わせぶりで性的に際どいセリフは薄められ、天真爛漫さが強調されたイノセントな女性となっている。

結果的に、映画は世界的なヒットとなり、オードリーの代表作ともなった。

よってホリー・ゴライトリーと言えば、オードリー・ヘップバーンを思い浮かべてしまう中高年の人(私もそう)が殆どなので、村上春樹は可能ならば若い人は、映画を観る前に小説を読んで欲しいと巻末の解説で語る。

ただ私は映画を観たのは30年以上前、多分高校生か浪人している頃で、家でお袋や妹らとレンタルか何かで観たと記憶する。

殆ど内容を忘れており、村上春樹の忠告に従って、今回先に村上春樹役の原作を初めて読み、直後に映画はAmazonレンタルで久々に観た。

小説と改めて映画を観て、途中まであらすじは同じであるのだが、ラストは全く異なり、そもそも途中から、小説と映画のテーマが全く異なる事にも気づく。

けれどもその違いも含めて、私はカポーテイの原作も、オードリー主演の映画もいずれも素晴らしい❣️と素直に感動した。

上述したように小説ホリーの方が、もっと性的に自由奔放で、男を手玉に取る小悪魔的な魅力が満載なのであるが、過去に翳を持っており、ミステリアスでもある。

一方オードリーのホリーは、ミステリアスで自由は同じであるけれど、あくまでオードリーの魅力が際立つのである。
妖精に相応しいイノセントさと、窓辺で歌う『ムーンリバー』。オードリーの圧倒的存在感である。

ホリー・ゴライトリーが何者であるかは、様々な解釈が成り立つ。

確かにオードリーが言ったように、高級娼婦かも知れない。
貧困と田舎を嫌って飛び出して来た女優崩れのなりの果てとも言える。
或いは、セレブの求愛を巧みにすり抜け、誰からも支配されぬ自由人とも言える。

小説にはないラストで、「君は自由にいるようで、檻の中に自らを閉じ込めている」とホリーに好意を持つ、駆け出し小説家が放つ名セリフもホリーを上手く表している。

そういえば、お袋はオードリー・ヘップバーンが昔から好きで、『テイファニーで朝食を』を公開時観た時は、京都の大学生だったそうだ。

60年代初頭、まだ貧しかった頃の日本の女学生が、カラーで摩天楼のニューヨークに圧倒され、5番街早朝のテイファニーで、オードリーが、ショーウィンドウを覗きながらパンを齧ったり、図書館やセントラルパークを闊歩する様を観て、さぞオードリーに眩しく、憧れたでのであろうか❓

今年11作目。映画は60年前の作品である。
全く色褪せない。ヘンリー・マンシーニの音楽の素晴らしさも言うに及ばず。

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