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婆の話

日 本 海 海 戦 1905.5【明治38】
 日本が日露戦争に勝った第一の理由は、立派な指揮官と、勇敢な兵士だったとよく言われる。 たしかに、機関銃の使用や、馬から下りて戦うという気策を出した秋山は立派だったと言えよう。しかし、日本騎兵が無敵となり得たのは、何よりも機関銃と言う最新兵器があったからである。
 つまり、立派な指揮官と勇敢な兵士がいさえすれば、戦いに勝てるというわけではない。 その証拠に、勇敢さでは名高いインディアンは、アメリカに入植してきた白人にあっけなく追いやられてしまったではないか。
 戦の勝敗を分けるのは、やはり、兵器である。どれだけ状況を見極め、最適な兵器を投入できるかというところで勝っていなければ、どんなに指揮官が立派で、兵士が勇敢でも、勝てるはずはないのだその点では、日本海海戦にも同様のことが言える。 しかも日本が独自に開発した、いわば“オリジナル武器”が活躍したことは、当時の日本の技術進歩を示す事実として特筆に値するだろう。「圧倒的に不利」と見られた陸軍に対し、海軍にはイギリスから購入した新造艦が二隻あった。と言っても、有利だったのはその点だけで、海軍の戦力としては、やはりロシアが勝っていたと言うべきだろう。
ロシア海軍の総排水量は日本海軍の約二倍、戦艦と大砲の数も、ロシアのほうが多かったのだ。
 そこで俄然、ものを言ったのが、1891年に海軍技師、下瀬雅允が開発した「下瀬火薬」である。 この火薬は、弾核を3千もの破片にしてあらゆる方向に飛ばすことができた。つまり、少々的が外れても、敵の戦力を確実に削ぐことができたのである。しかも、4千度という高熱を出す。
 炸裂の爆風で吹き飛ばすだけの従来のものに比べれば、じつに画期的な火薬だったのである。 この下瀬火薬を仕込んだ砲弾を受けるたびに、ロシア軍艦からは猛烈な火の手が上がったという。
 通常の火薬なら、死傷者を収容すればふたたび砲撃体制にはいることができる。しかし、真っ赤に火が燃えさかっていては、近づくことすらできない。下瀬火薬の威力は、かくも絶大だったのである。 また、木村駿吉という人物が開発した無線電信器機も、日本を圧倒的有利に導いた。まだどこの国も持っていなかったこの装備によって、敵艦をいち早く通報することができたからである。 ちなみに、無線電信の発明者、マルコーニがイギリス海峡を越えての電信実験に成功したのは、これよりわずか6年前の1898年のことであり、海戦で実用に耐えられる電信器機を開発したのは、木村が最初だった。
 こうした武器や装備の活躍により、日本海軍は、一隻の沈没船も出さずして、あのロシアのバルチック艦隊を全滅させたのである。

政治家が政治家としての役割をみごとに果たした
 日露戦争に関して私が感心しているのは、政治家が政治家としての役割を立派に果たしたということである。日露戦争を侵略戦争とする歴史観からは、こういう評価は生まれ得ないであろう。
 日露戦争は、祖国防衛戦争だった。その結果如何で日本の将来が大きく左右されるため、日本政府は、まさに全身全霊をかたむけていた。
 客観的状況からすれば、日本がロシアに完勝する可能性は、まずない。緒戦では勝てても、戦争が長期に渡れば日本はあっという間に劣勢に転じるだろう。これが、日本政府の見方だった。
 だから日本政府内では、開戦を決意するとともに、いかにして戦争を日本に有利に終わらせるか、という問題が議論されていた。
 そのためには、日本が劣勢に転じる前に仲介者を立て、日本に有利な講和条約を結ぶしかない。しかし、どの国を仲介者とすべきか。
 日本と同盟関係にあるイギリス、ロシアと軍事同盟を結んでいるフランスなどを省いていくと、アメリカ以外には考えられないということになった。
また、アメリカは、かつての不平等条約改正に前向きだったこともあり、日本に対する理解が深いと思われた。
 こうして日本政府は、ハーバード大学でルーズベルト大統領と同窓だった金子堅太郎を特使としてアメリカに送ったのである。
 開戦前に終戦のことを考えた明治政府の外交センスには、脱帽する。 軍人が戦地で戦い、政治家が戦争を終わらせる。軍人と政治家というものは、このように役割を分担することで、それぞれの力を最大に発揮するのである。

日露戦争は20世紀の最重大事件だった。
 当時、それができたのも、元老の存在が重みを持っており、元老に指名された内閣に権威があったからである。
 つまり、憲法に定められていなくとも、政治家が軍をおさえることができたからこそ、こうした的確な外交ができたのだと言える。 こうして、ルーズベルトの斡旋を経て結ばれたのが、ポーツマス条約である。
 日本は、ロシアの窮状を把握しきっていなかったため賠償金までは取り付けられなかったが、韓国における権益、関東州の租借権などを得た。
 しかし、それにも増して重要なのは、これを機に世界の様相ががらりと変わることになったということである。
 なにしろアジアの小さな有色人種国が、ナポレオンすら裸同然で追い出したロシアを敗ったのだ。あまり指摘されていないが、日露戦争は、20世紀最大の重大事件だったと言える。
 というのも、これ以降、白人の植民地は一つも増えていないからである。白人による全世界のアパルトヘイト化の進行が、コロンブスの後400年にして、挫折したと言えるだろう。

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