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えっ⁉日蓮が仏さま⁉ …富士門流の邪義を突く

創価学会・日蓮正宗・顕正会など(富士派)の最大の誤りは、日蓮本仏論を展開して釈迦を下し、日蓮を持ち上げている点だ。

・日蓮大聖人が久遠元初自受用報身如来であり、その再誕であるが故に末法の本仏だ
・釈迦は五百塵点の久遠実成の仏。日蓮大聖人はそれ以前の久遠元初の仏である

などと主張して、日蓮が本仏であると頑固に言い張る。
だから、富士派の立てる三宝のうち、仏宝は釈尊ではなく日蓮大聖人(仏)なのである。そんな無茶苦茶な。

しかし、一体どこに日蓮が釈尊を上回る本仏だという証文があるのだろうか?法華経巻二の譬喩品には、

我(釈迦仏)は 世間の父なり 一切衆生は 皆是れ吾が子なり 

妙法蓮華経 譬喩品

という経文がある。日蓮大聖人を含めた一切衆生が釈尊の子であって、日蓮が親で釈迦が子なのではない!
大聖人は「弥陀の縁を断て!釈迦と縁を結べ!」と再三言われております。それを突き進めて、「釈迦を捨てよ、本仏なる私に帰依せよ!」とまでは言われておりません。

また、晩年に著された撰時抄の著者名は、

釈子 日蓮 述

撰時抄(54歳)

となっている。日蓮自ら、自分は釈迦の子であると断言している。子が親に勝るわけもなく、日蓮が釈尊に劣るいうことだ。もし日蓮が本仏であること示したいなら「本仏 日蓮」「御仏 日蓮」のような書き方をしてもよいはずだ。
このように、経文・御書ともに、釈迦が本仏、日蓮が子(菩薩)であることは明らかだ。

あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。

盂蘭盆御書(58歳)

学会員なんかはこれを聞くと、ありとあらゆる方法で御書を曲解して、こじつけの理論を持ち出して、釈迦よりも日蓮大聖人が上で本仏だと証明してきます。でも、そんなことしても無駄です。
富士派の連中にとって、釈迦を末法の御本仏にしておくと、大聖人の立場が危うくなってしまうからはね退けてしまうのでしょう。
組織の理論でもって日蓮が本仏であると立証しようとも、日蓮の理論から外れているなら本末転倒です。

「じゃあ、日蓮大聖人は仏ではないの?」と言われると、仏であるとも言えます。日蓮大聖人の外用が上行菩薩、内証が仏とするのは妥当かもしれません。また、上行菩薩も文殊師利菩薩と同じように古仏の応現でしょう。
ただし、一つの世界、一つの時代に御本仏は一人です。それがどちらか、明確な三証があるのは釈迦のほうです。
それに、時代として本仏を論じれば、像法も末法も本仏は釈迦で一貫しております。天台や日蓮を本仏とするのは後世の人のでっち上げなので、絶対に用いるわけにはいきません。
さらに言えば、過去の本仏は迦葉仏、現在は釈迦仏、遠い未来の本仏は弥勒仏に当たります。釈迦仏と弥勒仏の中間の時代に日蓮という本仏が現れて、衆生に説法して導くという予言は経論に全くありません。
例えば、地蔵菩薩は弥勒と釈迦の中間に出現して衆生を済度する方ですが、だからと言って地蔵が本仏とは言えないですよね。

日蓮が仏であると固く信じるあまり、釈迦仏を見下す。これは破仏である。
日蓮仏法のみ末法の衆生を救う、釈迦仏法は末法には利益をもたらさないと言い張る。さらには、法華経よりも御書を持ち上げ、経文に跡形もなき相伝を引いて理論を作り上げる。これは破法である。また、破僧でもある。
富士派はこのように三宝を破壊している。

日蓮を本仏と持ち上げて、釈尊を見下して敬う心がないのは、娑婆世界の人間として親不孝の不届き者である。
このように、創価・正宗は日蓮の教えと法華経を弘めるように見えて、返ってその教えを破壊しているのだ。信じるべからず、近寄るべからず。

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