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#140_〈日本を思索する〉

 ここでは、あなたが望む日本とはなにかを問うプロジェクト〈日本を思索する〉*1について紹介したいと思います。

 本プロジェクトでは、主にフィクションの力を中心にしながら、それをインストラクション、インスタレーション、そしてワークショップなどに展開し、より個々人の身体に直接フィクションを流し込んでいくような手法を用いました。
 ある種の演劇的手法を用いることで、フィクションの中に内在する、《いま・ここ》の視点から見ると突拍子もない行為を、実際に自らのからだを動かして実行してみること、それによって獲得できる新たな想像力があるのではないかと思い取り組んできたものになっています。
 ここではその「新たな想像力の獲得」について、本プロジェクトの内容を順を追って紹介していく過程で、改めて考えていきたいと思います。
 またこのプロジェクトについて回想していくにあたって、何層かの切り口がありそうです。ひとつは、先に述べたような新たな想像力を獲得するための「方法論の探求」としての切り口。もうひとつは、日本という国家、そして政治という、ある意味、大きすぎるものを対象にすることについて。最後に、このプロジェクトを私が取り組むに至った経緯について。これは私自身の一人称的な小さな物語でありつつも、場合によってはデザインの歴史に接続されるかもしれない。以上のようなことについて考えていきたいと思います。

 ということでまずプロジェクトの内容について紹介していこうと思います。
 先立って「日本が四つに分かれるかもしれない」というSFを書きました。まず人口減少がこのまま続いていく。すると必然的に高齢の世代を少ない現役の世代で支える必要が出てくる。

そこから移民の受け入れが決行され、支える側に加わる。

そこに、また原発事故が発生する。日本列島の東側はチェルノブイリ化する。

東側の人々は西側に移動する、西側は混沌の地となる。

移民との共生を図れない人々は沈没を覚悟で死の地となった東側に戻り、西側は移民と共生する人々が残る。こうして鎖国状態となった旧日本と、多民族国家となった新日本が誕生する。

またそこからさらに日本列島から飛び出していくものが出てくる。ある者は外国から土地を買いゼロから日本をつくり、DIY国家となった超日本が誕生する。ある者は既存の国家に帰化し、各国に散らばった日本人同士で独自のネットワークを形成し、二重国籍国家となった脱日本が誕生する。

こうして日本は、旧日本、新日本、超日本、脱日本と四つに分かれる。

というSFを書きました。

 そこから、それぞれの日本人の特性や傾向を描いて、それぞれの日本人が行なっているかもしれない日常行為をインストラクションとしてのドローイングとして描きました。ひとつの日本につき25個描いているので計100個のインストラクションとしてのドローイングがあります。

 そこから、サンプルとして、自分自身がインストラクションを実行し、それをビデオカメラで撮影するということを行ないました。
 その上で、他者にこのインストラクションを実行してもらうということを行ないました。当時、私は大学院に在籍していたので(本プロジェクトは修士制作及び研究になっています)大学院の友人や学務の人などに声をかけて実施しました。
 まず、先に紹介した日本が四つに分かれるSFを伝えた上で「この状況になったときに、あなただったらどの日本を選びますか?」ということを質問します。そこから次に、選んでもらった日本の日本人が行なっているかもしれない日常行為の中で自分自身が行なっていそうな行為を選んでもらいます。そしてそれを実際に実行してもらいます。そこに私自身が同伴してインストラクション実行時の記録映像を撮ります。

 そこから次にその記録映像とインストラクション時に使った人工物でインスタレーションを構成しました。ここでは四つの日本のありえるかもしれない日常が対比されながら平行して流れていきます。

 そして最後に、このインスタレーションを導入的な舞台美術としてしつらえて、二日間の集中的なワークショップを行ないました。

 ここでは前述のインストラクションの選択と同様に参加者に四つの日本の中から、その状況になったときにどの日本を選びそうかを考えてもらい、それえを元にグループ分けを行ないました。
 その上で、改めてグループで、その選択した日本をゼロから考えてもらうところからスタートしました。そこからその日本における日本人がどのような日常行為を行なっているかを考えてもらい、それを実際に実行し、映像で記録を撮ってもらいました。
 まさに私自身が実施してきたSFの執筆、インストラクションの設計、その実行と記録における方法論を参加者に渡すような内容となっていました。
 ただ、ここからは、より参加者というか、別々の日本人が交差してくようなワークに展開していきます。
 ありえるかもしれない移住と受け入れと題して、それぞれの日本から一名ずつ、別の日本に移動してもらい、移住と受け入れの際にどのようなやりとりがありえるか、それを考えてもらい、実際にそのワンシーンを演じてもらう、ということをしました。
 最後に、ありえるかもしれない首脳会議と題して、四つの日本で膝を突き合わせて議論すべきことを持ち寄り、話す、というロールプレイを行ないました。

 ここでは、今までのワークがある種の《いま・ここ》ではない自分、未来の日本人になりきる準備体操のようなものになり、参加者によって個体差はあれど、まだ起きていない問題に対して一定の没入感、当事者性を持って議論できていたことが興味深い点でした。
 最終的に、前述のインスタレーションと、このワークショップのアーカイブで構成した空間を組み合わせ、新たにひとつのインスタレーションとして再構成したものを修了制作展において発表しました。

 以上の取り組みは、荒削りながら、自分たちが望む日本について、複雑に想像するための様々なメディウムや手法を実験してみたものとなりました。
 《いま・ここ》ではない世界をSFによって設定し、インストラクション、インスタレーション、ワークショップによって、自身の身体を、SFとの媒体として扱い、その架空の世界を一時的に「生きてみる」。そこで見えた景色や発生した感情を経験として《いま・ここ》の前提を揺さぶり、自分(たち)が望む、ありえるかもしれない社会、オルタナティブな世界を想像してみる。
 このフィクションを生きる体験や、それを集団で実行し集団的な想像力を立ち上げてみる体験というのは、他のなにと相対化すると、その意味が明確になるのか、今ひとつ自分自身もつかめてないのですが、少なくとも正しさを追求したり、なにかのPros/Consを導いたりしていく《いま・ここ》にべったりと足を付けて考えていく論理的な思考やディベートのようなものでは到達できないものを提供してくれるように思います。
 既存のそういった思考が意味がない、というわけではもちろんなく、《いま・ここ》から自分をベリベリと剥がしていく、そのなかで自分自身や自分たちで思考していく、という選択肢が日常のなかではあまりなくて、思考があまりにも強いひとつの現実に絡めとられてシュリンクしていってしまうのをなんとか横槍でつついていくような、そんな感覚でしょうか*2。
 あくまで、本プロジェクトで出てくるこの四つの日本は「ビジョン」ではなくて、思考を揺さぶり、そのなかでオルタナティブを想像していく、そういった思考のための装置の一部でしかないのです。



 次に、日本という国家を対象としたことについて考えていきたいと思います。
 今まで述べてきたことは、あくまで方法論についてでした。その方法論の対象を日本に向ける動機については、あえて空白のまま話を進めてきました。
 まずひとつ大きなきっかけとしては、当時2015年に安全保障関連法案が成立し、端的には日本が戦争できる国家になっていったということがあります。それに対して国民の様々な反応が活発にありました。
 そのような状況のなかで自分やあるいはデザインというものになにができるんだろうかと考えたときに、とにかく自分を含めた日本に関係している人々がありうるかもしれない日本の姿を複雑に想像する、思索するためのなんらかの時空間を提供することが真摯に自分自身がその問題に向き合う方法なのではないかと考えたのでした。
 例えば、政治とデザインという切り口でいえば、イギリスには内閣府のなかに政策に関するデザインの部門があったり*3、投票率を上げたり投票の際に投票者のミスを減らしたりするためにデザインリサーチにおける行動観察の手法が取られたりするという事例もあるわけですが、それはある種、解ける問題にあえて絞り込むような「あるひとつ」のデザインの所作に私には映ってしまうのです。
 もちろん、そういった、問題を絞り込んで解決し、それを漸進的に取り組んでいくことで発揮されるインパクトというのは確実にあるし重要です。しかし、それよりもまず前提として、私を含めた市民が、自分自身が望む
ありえるかもしれない日本という社会の世界観をいかに想像できるか、またその社会というのは自分たちにとって造形できる対象、メディウムであるという感覚、そういったものを対象に、デザインになにができるかを考えていくことの方がより本質的なのではないかと思い至ったのでした。
 そのなかで、当時、日本においても新興的なデザインの分野であったクリティカルデザインやスペキュラティヴデザイン(以下、CSD)*4と、自身の問題意識が手を取り合ったのでした。
 CSDは、デザインが持つ「日常性」を逆手に取って、異化作用を引き起こし、問いを形成する、問題提起型のデザインです。ダン&レイビーというデザインユニットが提唱し、私が大学院の修士一年生のときにフィオナ・レイビーが本学でワークショップを実施してくれました。
 私が通っていた大学院は、情報科学芸術大学院大学、通称IAMASという学校で、当時、ご退官直前であった建築家の入江経一さん*5, 6がいらっしゃり、入江さんがフィオナを呼んで、協働でワークショップを設計・運営されたのでした*7。
 私自身、この当時のことについて、いつかしっかりインタビューをしたいと思っているのですが、まだダン&レイビーがCSDを提唱する以前に、二人は日本で活動している時期があり、その時、入江さんと三人で様々な議論を交わしていたと伺っています。
 二人は1988年に来日し、アンソニー・ダンはソニーで働き、フィオナは入江さんの事務所で働いていて*8、ダンが日中の仕事を終えると、入江さんの事務所に行って、三人で集まって議論をしていた。1991年にイギリスに帰国し、ダン&レイビーとしてデザインスタジオを立ち上げたり、ロイアル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)で教鞭を取ったりと、彼・彼女らの活動の非常に初期というか基礎をつくる過程で、日本で入江さんと交流していた。
 その後、ダン&レイビーが『Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming』*9を刊行し、彼・彼女らの当時の段階におけるデザインの理論、具体的な彼・彼女らのプロジェクトやRCAの卒業生のプロジェクトを紹介し、またそこで登場する理論やプロジェクトをベースに様々なところでワークショップを行なっていました。
 そのタイミングで入江さんと合流し、IAMASでのワークショップに至ったのでした。
 この1988年に来日し1991年に帰国するまでの日本に二人がいたときの話は、私がIAMASで入江さんと交流していたときや、フィオナがワークショップをしているときのなかで、伝聞的に話を聞いて、その時の記憶を元に記述しているので、今改めて、その当時のことについて、入江さんにインタビューしたいという気持ちが個人的にはあります。
 当時、CSDに関しては、ダン&レイビーやその教え子の方々のプロジェクトを通じて知ってはいたものの、特に海外での活動経験のない私にとっては、ある種、海外、とりわけイギリスにおけるデザインの新たな潮流として捉えており、少し距離のあるものでした。
 それが入江さんの存在や、ある意味、入江さんの友だちとしてのフィオナとしてIAMASでワークショップをし、短い期間であったものの濃密な時間を過ごすことで、私にとってゆっくりとCSDが自分が実践する範囲内にある身近なものになっていったのでした。
 なので、当時のあのときの作業というのは、最新のデザインの潮流を輸入していくようなものというよりも、入江さんとフィオナが数十年の時を経て、また日本で合流し、その過程に私を含めたアートやデザイン、そしてテクノロジーを学ぶ学生が、ある意味、巻き込まれていく中で、CSDの正確な分析や理解というよりも、その根底にある精神性のヴァイヴスが共有されていった。
 そして、それぞれの現場(ここでは日本)の、それぞれの人々(ここでは学生)の身体性のなかで実践されるための感覚的な文脈が編まれていった、そんな作業だったのではないかと思います。
 本プロジェクトも、私自身の修士制作及び研究として取り組みながらも、入江さんと多くの議論を重ね、アイディアを互いに交換していくなかで出来上がったものになります。
 そういう意味で、日本の教育機関で、ある種、勝手にCSDの本格的な実践的研究で修士号を取得したのは、私が初めてかもしれず(なにをもって「本格的」と言うか、本当に「初めて」なのか、など調査や議論の余地は多々あり...)他方で、その勝手な本格さゆえ、本流のCSDを批判的に見て、独自に発展的継承をしたことで、視覚優位的な表現から、身体性への移行などを行なった結果、いささか流通性が低く、非常に限られた人のみが知る、CSDのアンダーグラウンド的なプロジェクトになってしまっているのですが、このプロジェクトを実践・経験した身体によって、自身が手掛けている他のプロジェクトに間接的に作用を引き起こし続けているようにも思えます。
 また、昨今は、本プロジェクトの経験をベースにし、恩師や先輩にあたるデザインリサーチャーやスペキュラティヴデザイナーの方たちと協働して、社会人向けの教育プログラムをつくったりなど、今一度、このプロジェクトを見直す機会をもらっています*10。
 まだ具体的なアイディアや機会があるわけではないのですが、〈XXを思索する〉として、そのXXが国なのか分野なのか、なにかの共同体なのは、はたまは概念なのか、その別の可能性の思索に展開するというのにも、改めて今、興味が湧いていています。
 思うに、2015年の日本というのは、一時的に、一種のカタストロフィが起きていた瞬間だったのかもしれない、とも思います。もちろんカタストロフィによって起きる負の面があって、むしろそれが圧倒的に強いと思うのですが、でもその一方で同時に、もう一度なにかを「つくりなおす」創造的なシーンというのが発生することも確かです。
 そういう意味で、国で言えば、圧倒的に、社会の造形性が高くなっている場所というのがあって、本プロジェクトが再展開される契機の条件というのは、そういったものなのかもしれません。
 あとは当時に比べて、私自身に多様な友だち——アーティスト、障害当事者、研究者などが増えて、彼・彼女らに協力してもらうことで違うところまで飛べるかもしれない、また違う景色が見れるかもしれない、とも思います。
 またデザイン教育の観点からいくと、CSDの言語化や方法論化というのは、近代デザインのイデオロギーで、カチコチに凝ったデザイン学徒の肩をほぐして、その外側に連れていき、一時的にでも別の世界を見てもらうことで、彼・彼女らの肩の力を抜いていく、そういう効果があるようにも思っています。
 もちろんラディカルデザインの歴史として、デザインにおける重要な歴史の一部として勉強することもひとつですが、非常に雑に噛み砕いてしまうと「めちゃくちゃ変なデザイナー」の歴史としても読める。彼・彼女ら先人が拡張してきたデザインの可能性というのがあって、また今、現代を生きるデザイナーやデザインを学ぶ人のなかにも、変なデザイナーや、その側面を(隠し)持っている人は確実にいるわけで、彼・彼女らのある種の存在の偏りをある側面から肯定し支える、それも日本でCSDをデザイン教育の中で教えることの効用のひとつのように思えます。
 私がデザインを学ぶ学生がいる教育機関等で授業をして、本プロジェクトを紹介するときは、いつもそういう気持ちで話しています。CSDを実践する人を増やしたいというよりも、変なデザイナーがその偏りを持ったまま生きていけるような、そういうことの小さな支えになる、現に存在している特異な現実としての島影、変なデザイナーのいち事例の生が伝わればいい。それが結果として、私自身にとって数少ない友だちが増えることにもつながっていくのです。


 最後に、本プロジェクトで強く参照した三つの事例を紹介して締めくくりたいと思います。
 ひとつめは、先に紹介したダン&レイビーの代表的なプロジェクト〈United Micro Kingdoms〉(通称UmK)です*11。

https://unitedmicrokingdoms.org/introduction/

 本プロジェクトでは、極端に四つに分かれた未来の小さなイギリスが描かれます。そのそれぞれのイギリス人が使っているモビリティを小型模型、それを使った写真や映像といった視覚的なメディウムで表現し、利便性と統制、個人の自由と困窮、無限のエネルギーと有限の人口、といったトレードオフの関係を顕在化させます。これによって彼・彼女らは、安易な結論に思考を帰着させず「あなたが望む社会とはなにか?」を複雑に問います。IAMASでのワークショップも、〈UmK〉がベースになっており、テーマも「THINGS THAT MOVE」と設定されていました。

https://unitedmicrokingdoms.org/digitarians/
https://unitedmicrokingdoms.org/communo-nuclearists/
https://unitedmicrokingdoms.org/bioliberals/
https://unitedmicrokingdoms.org/anarcho-evolutionists/

 四象限の設定や、そこからトレードオフの関係を顕在化させていくスタイルなどを強く参照しつつ、視覚優位のメディウムではなく、身体というメディウムを軸に実践してみることで見つかるかもしれない新たな方法論の可能性に投機している点が、彼・彼女らのプロジェクトを批判的に参照し、発展・継承してみたところになっています。

 次に、日本のSF作家、小松左京の『日本沈没』と、それに応答するかたちで筒井康隆によって書かれた『日本以外全部沈没』を強く参照しています。
 まず『日本沈没』において三つの日本が登場します。ひとつは日本に残り沈む場合、もうひとつは他国から土地を買い新しい国をつくる場合、最後にどこかの国に帰化する場合です。
 また『日本以外全部沈没』では、その名の通り、日本以外が沈没し、海外の人々が日本に移り住み、カオスになっていく日本が描かれています。
 小松は、とあるインタビューにて、1940年代の日米戦争で、「もし日本が一億総玉砕していたらどうなっていたか」を、敵国の概念を使わずにシュミレーションするために『日本沈没』を書いたと言っています*12。
 その視点から『日本以外全部沈没』を見ると、『日本沈没』ではシナリオ上の物理的な制限によって小松が描けなかったもうひとつの日本のケースを補完的に描いているように見えます。
 そうして、それぞれのSFで現れる日本を組み合わせると、小松が考えたかったシュミレーションが完成する、と捉えることができそうです。
 こうして、本プロジェクトでは、ここから未来の四つの日本を設定しつつ、現在の社会技術的状況から今一度、日本が四つに分かれるまでのSFを執筆したのでした。
 このSFの設定によって、先に述べた安保法案によって日本が戦争できる国家になることへの自身の違和感、あるいは焦燥感から、その次の段階に移り、その問題について深く考えていく、思索するための思考のフィールドが切り開かれていくようなかたちとなりました。

 最後に本プロジェクトにおけるワークショップ編にて強く参照したプロジェクトを紹介しようと思います。メキシコ出身のアーティスト、ペデロ・レイエスのプロジェクト〈人々の国際連合プロジェクト〉です。そのプロジェクトの関連企画として金沢21世紀美術館で実施されたワークショップ〈人々の国連総会〉に参加しました*13。

https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=76&d=114&lng=e

 二日間の集中的なワークショップで、様々な国籍の人々が集まり、我々人類が直面する複雑な問題に対して、ユーモアが交じる多様なワークを通じて考えていくという内容でした。
 例えば、「もしあなたが総理大臣だとしたら、なにをしたいですか?」という仮定の話を参加者同士で一対一で話していくというのを、話し相手を変えながら連続して実施していったり、食料危機に向けた代替的な食料として注目されている昆虫食を食べたり...など、そこに集まっている人たちで集団的に実践し、集団的に想像していく。
 プログラムの設計や、集団で実行するから発生する別種の集中力や思考など、実利的に参照できるものを吸収しながらも、それ以上に、政治的なことと芸術をこれまでストレートに繋げるレイエスの実直さやタフさ、というか、ある種の覚悟の決まり様に非常に刺激を受けたのでした。
 以上が強く刺激を受け参照した事例の紹介でした。


 本プロジェクトに取り組んでいた2015〜2016年当時では、全く想像できていなかった 、新型コロナウィルスの感染拡大というある種SF的といってよいであろう事象や、ウクライナ戦争など、我々人類の日常の前提が崩れていくことが近年起こっています。
 そのようなあまりにも大きすぎること、複雑でコントロールができない(むしろコントロールできる、という発想によって発生してしまっているものもあるとも捉えられるかもしれない)ことの前で、全身が無力感に満たされ切ったあとに、でもそれでも日常は続いていくわけで、そのなかでできることをまずは地に足を付けて淡々とやっていく。
 またその上で生の拠り所になるのは、やはり「想像力」なのではないかと思うのです。オルタナティブな社会像や社会システムを想像していく、というのは、非常に複雑な想像力が必要で、それはとても難しいことかもしれません。でも、ある社会システムを一定期間稼働させて、それがある程度の行き詰まりを見せているこの世界で、今改めて我々人類というか、一人ひとりの市民に求められているのは、想像力でしょう。
 そして、デザインは、その無力感のなかで、なんとかオルタナティブを想像していこうと、そういったときに、人々をエンパワメントできる可能性を持っている。
 その実践は、対象が大きすぎるあまり、簡単に結果は出ないし、評価も難しいものになるでしょう。しかし、少数でもいいので、そういったデザインという若い分野、学問の役割を拡張していく人が必要なのです。
 その可能性に投機していく姿勢が、ある種CSDの精神性、ひいてはラディカルデザインの精神性を享受していくことなのかもしれません。


  1. 島影圭佑. 日本を思索する. 2016年

  2. 島影圭佑. 日本を思索する. 第22回学生CGコンテスト受賞作品展. 日本科学未来館. CG-ARTS. 2017年2月24日-26日

  3. Government Digital Service. Policy Lab. GOV.UK. (参照2023年4月14日)

  4. マット・マルパス. 水野大二郎, 太田知也. クリティカル・デザインとはなにか?——問いと物語を構築するためのデザイン理論入門. 株式会社ビー・エヌ・エヌ. 2019年

  5. 入江経一, 岡本ゆかり, 河村陽介, 小林昌廣, 福森みか. IAMAS 叢書入江経一. 情報科学芸術大学院大学メディア文化センター. 2010年

  6. 佐原浩一郎, 入江経一, 金山智子, 八嶋有司. デザインをめぐる夜話. 情報科学芸術大学院大学 産業文化研究センター. 2015年

  7. 入江経一. THINGS THAT MOVE. Future Crossing展. グランフロント大阪タワーA/16F. 神戸芸術工科大学インタラクションデザイン教育研究所. 2015年2月6日−11日

  8. 中島恭子. クリティカルデザインとは何か——ダン&ルビーが提案する、問題提起としてのデザイン. AXIS 第132号 2008年4月. 2008年

  9. Anthony Dunne, Fiona Raby. Speculative everything: design, fiction, and social dreaming. MIT press, 2013.

  10. 水野大二郎, 長谷川愛, 水内智英, 島影圭佑, 吉田拓海, 小野里琢久, 林佑樹, 佐藤那央, 山内裕. Kyoto Creative Assemblage 2022 Part2 Section1 Design for Defuturing and Speculation. Kyoto Creative Assemblage. 2022年12月2日, 2022年12月9日, 2022年12月17日, 2023年1月13日

  11. Dunne & Raby. United Micro Kingdoms. 2013

  12. NHK出版書籍編集部. 小松左京『日本沈没』はなぜ圧倒的なリアリティを持ち、古びないのか?. 本がひらく. 2002年7月

  13. ペドロ・レイエス. 人々の国連総会. 金沢21世紀美術館展示室11. 金沢21世紀美術館, 公益財団法人金沢芸術創造財団. 2015年12月5日−6日


2024-04-13_更新


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