ミスターシービーと同期だった、ある競走馬の話

彼はミスターシービーと同期の牡馬だった。しかし生涯一度も対戦することは無かった。CBがクラシック三冠を華々しく飾った1983年、10戦してたった1勝。その1勝もダート1200の条件戦。翌年古馬になってダートで4勝するも、CBが出走した表舞台の芝の重賞とは無縁。対戦機会が無いのも当然だった。

そんな彼が一躍有名になったのは1985年6月、札幌日経賞でのこと。スタート直後につまづいて騎手を振り落とすと最後方からジリジリ順位を上げ、コーナーでは外に持ち出して直線でスパート、教科書のような見事な差し切りを見せた。落馬からのカラ馬1着、しかも騎手が乗っていたかのようなレース展開。

この珍事は同日夕方に札幌のNHKローカルTVニュースに取り上げられ、「本日札幌競馬場で起きた面白い出来事」としてお茶の間の笑いを誘った。それを自分も笑って見ていたのだが、馬名までは覚えていない。自分だけでなく、馬名を記憶に留めた人はほとんど居なかっただろう。

だがその5か月後、彼の名は全国の競馬ファンに知れ渡ることとなる。

「カラ馬1着」以降の彼の戦績は3戦して1着、2着、2着と好調だったが、あくまで条件レース。賞金的にはオープン馬には届いておらず未だ条件馬のままだった。陣営が予定していた次走は自己条件に見合った府中ステークス。しかし、社台ファーム総帥、吉田善哉の鶴の一声「社台から8大競走に1頭も出さないのは格好がつかないから条件馬でも出しておけ」で秋の天皇賞に無理やり出走させられることになる。そう、彼は天下の社台の馬だったのだ。

この年秋天の主役は、古馬になり充実期に入った皇帝シンボリルドルフ。対するはマイル王者のニホンピロウイナーと、ルドルフと同じパーソロンを父に持つ良血のウインザーノット。両者がどこまでルドルフに迫れるかが見どころと思われていた。一方、5歳にして主な勝ち鞍がダート条件戦しかない彼は17頭立ての13番人気。なお、同期のCBは既に怪我で引退しており、出馬表にその名は無い。

レース当日、彼の出走を決めた当の吉田善哉は「ルドルフが勝つところは見たくない」という理由で東京競馬場には来ていない(京都で社台の期待馬、シャダイソフィアのレースを観戦していた)。彼がどれだけ期待されていなかったかが判る。

秋天へ急遽出走となったために彼のかつての乗り役達は全て他馬の先約があり、鞍上はなかなか決まらなかった。レース3日前にしてようやく決まった根本騎手に対して、彼を管理する矢野調教師はこう言ったという。「頼むからケツにだけはならんでくれよ」。ダート条件馬を芝G1の天皇賞に無理矢理出走させるのだ。陣営サイドも期待していないのは当然だった。

レースは、ルドルフが不利と言われる大外枠からやや強引にポジションを上げ、向正面ではいつもの好位に取り付いていた。彼の鞍上根本騎手は後方でそれを見やりつつ「やっぱ強いわ。あれは勝つわ」と思っていたという。最終直線、ルドルフがニホンピロウイナーとウインザーノットをゴール直前で競り落とし、勝利をもぎ取ったかに見えた刹那、外から豪脚一閃。「あっと驚くギャロップダイナ!」堺正幸アナウンサーは皇帝を差し切った彼の名をそう叫んだ。堂々のレコード勝ちだった。

「三度の負けを語りたくなる」ルドルフの敗戦は、カツラギエースの大逃げに屈した1984年のJC(3着)、1985年の秋天(2着)、1986年アメリカでの最後のレース、サンルイレイステークス(6着)だが、差し切られて負けたのはこの秋天のみである。

と、さも見てきたようなことを書いたが、自分が彼の名前をギャロップダイナと明確に認識したのはその5年後、別冊宝島の競馬読本シリーズを読んだときのことだった。「ルドルフに勝ったのは札幌のローカルニュースで見たあのカラ馬1着のやつだったのか!」と驚いたことを覚えている。

秋天の敗戦後、ルドルフは「馬房で涙を流して悔しがった」という(今井寿恵氏が撮影した、瞳に涙を湛えるルドルフの写真が残っている)。馬が悔しがって涙? という突っ込みはさておき、ルドルフの育成シナリオで秋天出走が含まれていないのは、冴えない伏兵に敗れた黒歴史であることと、主な対戦相手がウマ娘に実装されていないことが一因かもしれない。

さて、秋天以後のギャロップダイナの成績はパッとせず、まぐれ当たりの一発屋と思われていた(ルドルフにもきっちりリベンジされている)。しかし翌年の東京新聞杯(G3)、安田記念(G1)に勝利し「さすがは天皇賞馬」と見直される。その後勇躍フランスに遠征するもジャック・ル・マロワ賞12着、ムーラン・ド・ロンシャン賞10着と惨敗。帰国後の天皇賞こそ4着と健闘したがJCは10着。年齢的にも潮時ということで引退レースには有馬記念が選ばれた。

過去実績からも彼の適正距離はマイル〜2000mあたりであり、有馬記念は引退記念出走の意味合いが強かったと思われる。人気もそれを反映してか12頭中の11番人気だった。それもそのはず、この年の有馬記念には精鋭が揃っていた。前年の皐月賞、菊花賞二冠馬にしてシンザンの最高傑作と言われたミホシンザン(1番人気)、同年に史上初の牝馬三冠を成し遂げたメジロラモーヌ(2番人気)、同年秋の天皇賞勝ち馬サクラユタカオー(3番人気)など、実績馬が名を連ねていたのだ。

レースはハナを切ったレジェンドテイオーがよどみのない流れを作り、彼は終始後方で追走。それが精一杯のように見えた。終盤、彼が最後方で4コーナーを大外から周ったとき、TVカメラは前方のダイナガリバーとミホシンザンの激しい先頭争いにズームイン。「間からミホシンザン! 内からダイナガリバー!」アナウンサーが叫び、この二頭で決まりと思われた。とそのとき、画面の外から一頭凄い勢いで飛び込んできた。ギャロップダイナだった。ルドルフを差し切ったあのときを思い出したかのような豪脚一閃。有力馬達を一瞬で抜き去り、先頭のダイナガリバーまで1/2馬身と迫ったところがゴールだった。

4番人気ダイナガリバーとの枠連8100円という波乱を演出し、彼の現役生活は終わった。勝ったダイナガリバーは同じ社台の馬であり、今回は中山競馬場に来ていた吉田善哉の計らいで優勝口取り式ではお相伴に預かり、二頭での撮影となった。最後まで話題に事欠かず、晩成型の、いかにもノーザンテースト産駒らしい競走生活だったと言えるだろう。


もしも、ルドルフが若き現役時代を回想するような「ウマ娘・アーリーデイズ」が実現するなら、ギャロップダイナはカツラギエースと共にルドルフに挫折を味合わせるライバルとして必須の配役になるだろう。おそらくルドルフには一目置かれるが、本人は「私はそんな器じゃないよ」と飄々として、気が向いたときだけ全力を出すようなキャラになるような気がする。「キミはいつもマジメだねぇ。ダジャレの一つでも言えるようになりなよ」などとルドルフに対して軽口を叩いてもらいたい。そしてルドルフの回想が終わったところで「あなたですか! 会長にダジャレを吹き込んだのは!」とエアグルーヴに怒られて欲しい。

ゲームでは実装が難しそうなので別メディア展開でもいい、ギャロップダイナが活躍する姿を見てみたい。カラ馬1着の史実がウマ娘世界でどんなエピソードになるのか気になる。また、アーリーデイズの頃の生徒会長とか、ルドルフが会長を引き継ぐくだりも見てみたい。会長は多分シンザンだろう(怖そう)。副会長はたづなさん(トキノミノル)だったりしないかな?

ギャロップダイナの適正予想
ダートB 芝A
短距離B マイルA 中距離A 長距離C
逃げG 先行G 差しD 追込A

ダートを追込で走れる貴重なウマ娘になるかも? 固有は最終直線速度系かな。


関連リンク

ギャロップダイナWikipedia
本稿がほとんどWikipediaの抜粋再構成みたいなものなので、一読をおすすめする。天皇賞勝利について根本騎手の心境振り返りが充実しており面白い。

札幌日経賞でのカラ馬1着映像(ニコ動)
ギャロップダイナを語る際には欠かせないエピソード。


1985年天皇賞(秋)映像


1986年有馬記念映像


矢野進 元調教師のインタビュー記事

トレセンにアンパンの差し入れを持ってきた吉田善哉が「天皇賞には出られるのか?」と尋ね、矢野師が(ルドルフを恐れて回避が多く)例年より登録数が少ないので出走可能だと伝えると「じゃ、使え」との一言で出走が決まったくだりが可笑しい。蛯名正義元騎手を育てたエピソードも興味深い。

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