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小説っぽいやつ

その部屋の窓にはいつも分厚そうなカーテンがかかっていて、灯りがついているのかどうかもわからない。人の気配もなく、空き家なのかもしれない。ぱっと見でそう思ったけど、庭の植木鉢たちは手入れをされているようだった。

珍しく早朝にオフィスに行くと、その部屋のカーテンが揺れていた。窓が開いているのだ。でも、こちらにはカーテンもなく、じろじろ見れば向こうにばれてしまう。この至近距離でじろじろ見られたらいやだろうな、なんせ向こうはきっと民家なんだから。そう思って目線を外してみるも、気になってチラチラ見てしまう。コーヒーを淹れて戻ってくると、窓は閉まっていた。

オフィスがあるのは街中の4階で、街中の路地故に向かい側のビルとの距離は近かった。せっかくの南向きのテラスも植木たちが日向ぼっこするだけで、洗濯物が干されているところなど見たことが無い。
(まあ、私もこんなところで洗濯物を干すのには勇気がいるけど、やっぱり陽に当てたいから下着以外なら干しちゃうけどなあ)
去年、32歳で地元に帰ってきてから、下着を部屋干しするようになった。東京のアパートでは全く気にせず、なんでも干していた。日当たりが良いのは部屋を決める時の重要な条件だ。自分がここに住んでいることなんて誰も知らない、自分が誰かなんて周りの人は誰も知らない。そういう環境で干す下着には無頓着だった。地元に帰ってくると、自分の下着だと認識されるのが嫌になった。
「ゆきちゃんの下着は、派手ねぇ」
そう言われるのがわかっていたから地味目な下着を選ぶようにしてたけど、母親にとってはレースがついていれば黒だろうと派手な下着に分類されるらしい。ベージュの綿100%の下着でも付ければ良いのだろうか。

職場は8人だけの部署で、会社にいるのはだいたい上司と私の2人だけ。今日は上司が一日外出、直帰で一人でのびのびできる貴重な一日。ぼんやり外を眺めていると、自然と向かいの部屋に目が行く。
向かい側の人が建物を行き来するところを、見たことが無い。働いているなら確かにこの時間にいるはずもないが、なんでこんな街中のビルで暮らしているんだろう。残業で遅くなった夜も遮光カーテンなのか、灯りの存在すら感じない部屋。日曜に出勤したときも部屋に気配はなかった。あの部屋に気配がある日なんてなかった。誰かが訪ねていくとか、宅急便がいくのなら声が届くような距離感だ。でもその距離感ということは、むこうからこちらは丸見えなんだ、そう思うと急に意識してしまう。かといってブラインドを降ろす気にはなれなかった。部屋に陽の光が欲しいから。ふと、明日も早朝に来てみようか、と冒険心が湧く。帰る前にブラインドを降ろしておけば、向こうからは見えないはずで、覗きにはうてつけだ。向こうから見える範囲のブラインドを降ろし、わずかに隙間を開けてその日は退社した。

昨日よりも早く、ほぼ始発で出社した。うちの会社に人が来るのは9時頃。気配を消してそっと入室し、ブラインドの隙間から向こうを覗く。窓は開いていた。薄いカーテンが揺れている。買ってきたラテをのみながら、ひたすら息を殺し、住人が登場するのを待つ。暇だ。30分経過しても動きはない。買ってきたホットドックをチンしに離れるのも惜しくて冷たいまま口に突っ込む。本物の張り込みじゃないんだから。でもほんの一瞬の気のゆるみが大切なものを見逃すかもしれない。7時前。暇だ。あと2時間もここで張り込みをするなら、なにか同時進行して時間を有効活用しておきたい、とりあえずアキレス腱を伸ばす。暇だ、音楽でも聴こうと鞄の中に手を突っ込んでイヤフォンを探す。もちろん視線は向かいの建物から離さない。大人になってから、こんな風に何かに夢中になったことがあるだろうか。熱心に何かを調べたり、追いかけたり、見に行ったり。そういうことから随分離れ、タイムラインに流れる情報の上澄みだけを流し見して、何でも分かったようなつもりでなにもしらないみたいな今日この頃だ。

何となく耳が寂しくて、ラジオを聞く。高校受験のころ、いつも聞いていた地元のラジオ。FAXを送っては自分のリクエストが叶うのを待っていた。今の私なら、何を聞きたくて、どんな言葉を添えるんだろう。ラジオはやさしい。私の方を向いている気がするから。

7時20分。向かいの部屋にとうとう動きがあった。やかんをぶら下げた女の人だった。建物はぼろいし、なんとなくおじいさんやおばさんが住んでいるんじゃないかと思っていたので、意外だった。植木鉢に水をあげながら、煙草を吸っている。私と同じくらいの年齢だろうか。無防備な部屋着が、なんだか色っぽい。部屋着なのに口紅をしっかり塗っているのに違和感があった。これから出かけるところ、というよりは帰ってきたような雰囲気だ。夜の仕事をしているのかな。だとしたら、夕方頃にでかけるんじゃないだろうか。夕方頃に注目してみようか。そんなことを考えていたら、彼女がこちらに視線をよこした。真っ暗でブラインドを下げたこの部屋の私なんて、見えるはずがないのに息を止めてしまう。目線はそのまま自然にうつろって、煙草をふかしながら下を行きかう人たちを見ているようだった。どっと汗がでる。目を凝らすと、カーテンが開いていて、部屋の中が少し見えた。素朴だけどセンスの良い大きなテーブル、椅子が一つ。奥に広いベッドが見えた。なんだか本当に覗きの領域だな、と思ってそれ以上見るのをやめた。

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