なんのために学校に行くのか

なんのために学校に行くのかの答えを、大人が示せてないという
タレントさんの言葉がさも賢そうにツイで回ってたが、
そんなものは、大人が示すものではないと思う。


本人が時間をかけて見出すものだ。
見出せなかったら先延ばししておこう、でも良い。


気がついた時の選択肢を増やすために、学校に行くわけだ。
小学校でした選択が間違っている場合だってあるわけで。


自分がある程度の決定を下せる時のために、選択肢を狭めないでおこうという気づきを与えることが大事。


その話し合いをできる空気感を、家族で作ることが必要で、
大人は答えを与える役割ではない。絶対に。


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ちなみに、先の投稿で「遊び呆けて」と書いたが、
うちの子は小学も中学受験もしているし、塾も行ってる。
決して放任していたわけではない。
 
保育園児の時からガールスカウトで登山キャンプに行ったし、
無人島サバイバルにも行かせてる。
 
バレエも習って厳しい先生から絞られて発表会で踊った。
本番でちょっとしたミスをおかして、皆に迷惑かけたと、
まだ園児なのに、ひどく反省もしてた。
 
 
そういう、一人ではできない体験を積むために、
(それをほぼ無償に近い金額で得るために)、
国が与えてくれた「権利」だ。
なぜにそれを大人が奪う事など許されるのだろう?
 
やるべきは、テレビを消す!
我が家では、食事中はテレビを消すことが絶対ルールだった。
割と何をしても許されるけど、これだけは許可しなかった。


食事中に、疑問に思うことや、感じていることを
なんでも自由に話し合い、親は答えを誘導しない。
友達への腹立たしい思いも、「ふんふん」と黙って聞く。
そのうちに自分で「でも、○○ちゃんの気持ちもあるしなあ」と
勝手に浄化させて相手の立場を理解して納得する。
 
私は記憶力が悪いので、勉強を教えることはできなかったが、
一緒に調べたり、疑問を深掘りしたり、
そういう会話は大事にしてきたつもり。
その20年間の訓練が、仕事でも役立っていると思う。
(その代わりレールが欲しい人は、答えを示さないと怒り出す)
 
彼女たちが社会で高い評価をいただけてるのは、
問題解決の方法を、幾つも高速で提示できることかと思う。
その力は、絶対に、学校教育の中で身につけたものだ。

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