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ちいさいシマリス

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昭和の子供はこんなんでした。
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#音楽

世界の始まり、海のある小さな町

宮崎県の青島 ここに住んだのは人生の最初の何年かだけだけど、自宅の周りの風景も学校までの道のりも、ピアノ教室やお寺の幼稚園までの風景もよく覚えている。 不思議なものでこの町を引っ越して、その後高校卒業まで暮らした海から遠い町のことはところどころしか思い出せない。 小さい頃に見たものや食べたもの、経験や感情などは”人生で初”のものだからだろうか、私の記憶の中の青島はとても鮮明だ。その後に似たような経験をしてもそれが何度目かであり繰り返したものであるので強い印象がないのだろ

フォークの日に:私を作った音楽

子供の頃は自宅での”音楽権”はもちろん親が持っていた。子供の私は彼らがかけるレコードを聴いているしかなかったわけで、意図しなかったであろうがその時代のフォークやポップスはしっかりと刷り込まれている。3歳ごろには母に連れられてイルカさんや南こうせつさんのコンサートにも行った。ぐずりもせずにお利口に音楽を聴いていたと母が言っていた。 自分で音楽を選ぶ様になったのは中学に入ってから(アルフィーさんです)でそれ以降はあっちやらこっちやらでいろんな音楽を聴いてきたが最近になって自分は

赤と青のオランガタンの世界

昭和の子供だった私は毎日NHKの "みんなのうた" を楽しみにしていました。 多分見ていたのは、せいぜい中学校に上がるくらいまでだと思いますので、物心ついたころから7−8年くらいは見ていたのかな。実際NHKのページで見てみると80年代中期以降は全く知らない歌ばかりですが、70年代から80年初頭は忘れていた曲もタイトルと絵で思い出すものがたくさんあります。 今でもフルで歌える曲もたくさんあります。幼少期に毎日毎日聴いて刷り込みされたのですね。 その中で大人になって口ずさみなが