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ちいさいシマリス

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昭和の子供はこんなんでした。
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#THEALFEE

世界の始まり、海のある小さな町

宮崎県の青島 ここに住んだのは人生の最初の何年かだけだけど、自宅の周りの風景も学校までの道のりも、ピアノ教室やお寺の幼稚園までの風景もよく覚えている。 不思議なものでこの町を引っ越して、その後高校卒業まで暮らした海から遠い町のことはところどころしか思い出せない。 小さい頃に見たものや食べたもの、経験や感情などは”人生で初”のものだからだろうか、私の記憶の中の青島はとても鮮明だ。その後に似たような経験をしてもそれが何度目かであり繰り返したものであるので強い印象がないのだろ

フォークの日に:私を作った音楽

子供の頃は自宅での”音楽権”はもちろん親が持っていた。子供の私は彼らがかけるレコードを聴いているしかなかったわけで、意図しなかったであろうがその時代のフォークやポップスはしっかりと刷り込まれている。3歳ごろには母に連れられてイルカさんや南こうせつさんのコンサートにも行った。ぐずりもせずにお利口に音楽を聴いていたと母が言っていた。 自分で音楽を選ぶ様になったのは中学に入ってから(アルフィーさんです)でそれ以降はあっちやらこっちやらでいろんな音楽を聴いてきたが最近になって自分は

やっぱり宮崎じゃった

自分の故郷、hometown、はどこなのかなとあらためて考える機会が今日ありました。ほとんどの方は生まれた町、育った町、帰る町、を故郷と呼ぶのではないでしょうか、でも私はそれぞれ違う町がその場にあてはまります。 わたしの生誕の地は宮崎でしたが、実際そこに住んだのは小学校3年生くらいまでで、そのあとは宮崎県内の違う市で高校卒業まで過ごしたのでいわゆる”成長の場”は県南部の小さな町。そのあとは東京の大学へ進学して、それ以降は海外のあっちこっちです。親戚一同はまだ宮崎におりますが