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ちいさいシマリス

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昭和の子供はこんなんでした。
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#鹿児島

世界の始まり、海のある小さな町

宮崎県の青島 ここに住んだのは人生の最初の何年かだけだけど、自宅の周りの風景も学校までの道のりも、ピアノ教室やお寺の幼稚園までの風景もよく覚えている。 不思議なものでこの町を引っ越して、その後高校卒業まで暮らした海から遠い町のことはところどころしか思い出せない。 小さい頃に見たものや食べたもの、経験や感情などは”人生で初”のものだからだろうか、私の記憶の中の青島はとても鮮明だ。その後に似たような経験をしてもそれが何度目かであり繰り返したものであるので強い印象がないのだろ

幼い私の夢、うなぎ

小さい頃の夢は何でしたか、と聞かれればお嫁さんになりたいだの看護婦さんになるだの、野球選手になるだのと職業的な何かを思い浮かべると思う。 私が4歳か5歳のころの夢はそんな遠い先の話ではなく、できれば翌日にでも叶えたい夢だった。それは・・・・ うなぎをお腹いっぱい食べたい まだ幼稚園の頃、生まれて初めてうなぎを食べた。うな重だったと思う。ピカピカツヤツヤの蓋がしてある容器を開けると、ピカピカツヤツヤの蒲焼きがピカピカツヤツヤの白いご飯に乗っていた。香ばしく、甘い匂いに私は

南国のすごく美味しいもの、ボンタンアメ

ボンタンアメをひとつ握りしめている。 あまり早く食べてしまうともったいない。 でも美味しいので早く食べてしまいたい。 長く手に持っているとオブラートが溶けてしまう。 次のトンネルが来たらこれを口に入れよう。 小学一年の夏、宮崎の田舎から1時間ほど離れた別の田舎まで、土曜日にひとりで汽車に乗っていた。母方のじいちゃんが国語の教師、高校の校長先生を退職したのちに自宅で習字教室を開いており、そこに通っていたからだ。 学校が半ドンで終わると、駅近くにある父方のばあちゃん家で急いで

やっぱり宮崎じゃった

自分の故郷、hometown、はどこなのかなとあらためて考える機会が今日ありました。ほとんどの方は生まれた町、育った町、帰る町、を故郷と呼ぶのではないでしょうか、でも私はそれぞれ違う町がその場にあてはまります。 わたしの生誕の地は宮崎でしたが、実際そこに住んだのは小学校3年生くらいまでで、そのあとは宮崎県内の違う市で高校卒業まで過ごしたのでいわゆる”成長の場”は県南部の小さな町。そのあとは東京の大学へ進学して、それ以降は海外のあっちこっちです。親戚一同はまだ宮崎におりますが