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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”… もっと読む
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2021年12月の記事一覧

栗の思い出、あちこち

東京で女子大生をしていた短い期間、毎週末のように飲み歩いていた。合コンだったり、女子会だったり、外だったり誰かの家だったり、と19や20の時は割と後先考えずに出されるがまま飲んでいたような気がする。よく飲み、よく食べ、の健康優良児だったので、飲んだ後は何かしら食べたい私は、帰り道にぶらぶらと甘栗屋台を探して彷徨うのが常だった。20の私のシメは甘栗だった。五百円の袋を買って全部一人で食べていた。爪と指先を真っ黒にして、パッカパッカとリズム良く皮をはいでは甘栗を口に放り込んでいた

謎の写真いろいろ:もう忘れたあの場所

私が初めてデジタルカメラを手にしたのは1999年の初め頃だった。コロラドで知り合った当時の彼が持っていたのがSONYが出していたデジタルカメラだったのだが、もちろんSDカードもまだなくて、内蔵メモリ分しか写真を撮れないので毎日写真を撮っては家に帰りパソコンに繋いでダウンロードせねばならなかった。画質も荒く素晴らしい写真は撮れなかったが、”ハイテクやなーーー”と感動したのを覚えている。*SONYのHPに写真がありました↓ 自分で買ったのはもっともっと後で、多分2003年か20

夜中のテレビっ子

私は大体が夜10時を回ってから俄然やる気と元気が出てくる、典型的な Night Owl (ナイトアウル、夜型人間)だ。日本でもそうだったが、アメリカの大学生時代も夜もいよいよ本番になってから、課題に取り掛かったり図書館に出向いたりしていた(大学の図書館は24時間オープンでした)。 当時のことはこちらでも書いてます。 私がアメリカに来たばかりの90年代初めはまだネットも普及しておらず、emailはあったものの学校とのやりとりくらいにしか使っていなかった(そして初めてemai