見出し画像

「少女と男」小説《短編》

「風が来た。」
 少女は、ぽつりとそう言った。
 私は彼女に視線を向けた。
 先ほどから全く変わらない姿勢で私の隣にちょこんと腰かけている。
「風が来た。」
 少女は再び言った。今度は私を見つめながら。
 私は、彼女の大きな瞳に写り込む自分の姿を見つめながら頷くと、立ち上がる。そして、小さな彼女を左肩に乗せその場を離れた。
 もう何年もこんな生活をしている。
 彼女の言葉を合図に私は移動を続ける。
 きっと、世界中歩きつくした。しかし、私と彼女の行進は続く。
 彼女は指揮者、私は奏者。彼女の示すがままに進み続ける。
 すれ違う子供が私たちを不思議そうに見上げた。
 大きな私と小さな彼女の組み合わせは、奇妙なものに写るらしい。現に、保安官を呼ばれた事も少なからずある。牢屋に入れられた事も。
 だが私には反論する術はない。
 彼女と生活する事になった時、私は声を奪われた。思考を奪われた。思想も奪われた。
 この左肩の彼女に。
 いや、奪われたというと語弊がある。
 私は自ら差し出したのだ。意識的ではなかったとしても。
 私は望んだのだ、美しい彼女と同じ時間を生きる事を。
 ポンポン。
 彼女が私の帽子を叩く。
 左肩の彼女に視線を向けると、「風が消えた」と言う。
 私は頷き、あたりを見回す。そして、ちょうど二人で座れそうなベンチを見つけ、彼女をそっと座らせるとその横に腰を下ろした。
 そして、何を見るでもなく、通りを二人で見つめる。
 何もない時間。しかし、これはかけがえもなく大事なもの。
 彼女とこうしていられるという事が、私のとっては何物にも代える事の出来ない宝なのだ。

 彼女と初めて出会ったのは、年中風が吹く街でだった。
 街の入り口に立つおもちゃ屋の窓辺に座っている彼女が、ひどく気になった。
 しかし、逃亡中の身だった私は、まず隠れる場所を探し、街を一周する事にした。
 事あるごとに彼女の事を思い出し、奇妙な気持ちになった。そしてようやく見つけた場所は、彼女が座っている窓辺がよく見えた。
 一カ月が経った頃、私を追ってきた兵士がこの街に入るのを見た。すでに顔なじみになった兵士。きっとどこにいてもすぐに見つけられるほど目に焼き付いている。
「・・・この街とも、お別れか・・・。」
 そう口にした途端、猛烈な悲しみに襲われた。
 大の大人がぼろぼろと大粒の涙を流して泣いた。それは、両親が死んだ時すら出てこなかったもので、自分の中から、完全に干上がっているとばかり思っていた。
 泣きながら考えた。なぜ、こんなにも悲しいのか。この街から離れたくない理由を。
 そして、いつもそうしているように、窓辺の彼女に視線をやる。
 すると、彼女と目が合った。
 ありえない事に、総毛だつ。同時に、嬉しさで心が満たされた。
 ついで、すでに持っている物はほとんどないが、それらすべてをかなぐり捨ててでも、彼女をさらいに行きたい衝動に駆られる。しかし、体はピクリとも動かない。指先すら動かすこともできない。まるで、彼女の視線に絡み取られたように。
 長い長い間、見つめあった。

「風が来た。」
 私は立ち上がり、ベンチに座る彼女をそっと抱き上げ、右肩に乗せた。
 彼女は不思議そうな瞳で、私の頭部を見つめている事だろう。
 彼女を右肩に乗せる時、私は私に少しだけ戻る事ができる。彼女に私の言葉で話しかける事ができる。
「あれから、どの位経った?」
「そうね、ざっと200年かしら。」
「そうか・・・。」
 彼女の言葉を聞き、私はうっとりとする。
 愛しい彼女と長く一緒に居られた事に。そして、これからもそうあり続けるだろう事に。
 彼女を左肩に移動させ、私は歩き始める。
 彼女はもう私を見ていない。前をじっと見つめる。
 何を彼女は見ているのだろう。
 何を彼女は考えているのだろう。
 この先、一緒に居ればいつかわかる日が来るかもしれない。そう思った所で、私の思考は停止した。

【後記(2020/6/24)】
短編小説というよりはショートショートです。
ショートショートの神様と呼ばれ1た星新一先生にバリバリに影響を受けた作品。
読む人それぞれの景色や解釈を楽しんで頂けたら幸いです。

10分程度の朗読劇やアニメーションにしてみたいと思っている一つ。
どなたか一緒にやりませんか?

頂いたサポートは、クリエイターの活動資金や、幸せな人生の作り方メソッドの普及活動に使わせて頂きます。宜しければサポートお願い致します!