私の人生のはずなのに


人生は一度きりだから、思う存分に自分の人生を楽しみたいと誰もが皆んな思っている筈です。そういう話を一度や二度ならず聞いたこともあるでしょう。ですが、頭では分かっても腑に落ちない、心に染みないことも多いのではないでしょうか?


1.自由に選択


今の時代は選択肢が豊かな時代です。
昔と比べてみるとよく分かります。


採集をしていた時代になってみます。


あなたは何を食べますか?
食べるために何処に行きますか?


その時の選択肢は幾つあるでしょうか?
メニューや素材を想像してみて下さい。


採集から狩猟の時代になります。


何を食べますか?
食べるために何処に行きますか?


メニューや素材など選択肢は広がります。


更には農業の時代になります。


この時は、料理の幅が広がりますね。


そして、時代は産業社会から今の時代へと推移するに連れて選択肢は急速に増えだします。今では、地球の裏側で定番のメニューに有り付くこともできます。


昔に比べると選択肢は圧倒的に増えており、その中から選ぶ権利ももたらされているので自由に選ぶことができます。


自由に選択しますね。


2.心の自由度は少ない


選択肢は豊富で、意思決定も自由であるはずですが、誰もが皆んな、心の自由度は高いかと言いますと必ずしもそうではないのではないでしょうか?


よくよく見ないと分かりません。
ただ、何となくは感じるのです。


東大に入る選択肢はある筈です。
ですが、自由に入れるでしょうか?


医者になる選択肢はある筈です。
ですが、簡単に医者にはなれません。


意思決定が自由であるにも関わらず、必ずしも現実までが決定の通りに築かれないことにも多く遭遇します。


心では中々思うようにいかない体験もまた、一段と多くなっている現代ではないでしょうか?余りにもその体験ばかりを蓄積し続けるとやがては諦めるようになり、選択肢からも削除されてしまいます。


いつの間にか、です。
選択肢が少なくなっています。


3.一体誰の人生なのか?


一旦、選択肢が削除されてしまうと、徐々に、そして急速に、選択肢は少なくなっていきます。


仕事の選択肢。
友人の選択肢。
趣味の選択肢。
会話の選択肢。
時間の使い方。
お金の使い方。
未来の描き方。


他にもあらゆることで、選択肢は狭いものになっています。余りにも狭すぎて、窮屈な中でも何かを見つけては選ばないといけないことも出てきます。


自由に選択したい心からすれば、随分と窮屈で、決して心が満たされない選択を迫られます。


ある時、このように思うでしょう。


何でこんなことをしなくてはいけないのか?
いつまでやらされないといけないのか?


自分の人生の筈ですが、まるで自分の人生でないかのようにさえ思えてきます。やがて、与えられた選択肢は、自分が用意した選択肢ではないことに気付く人も生まれてくるでしょう。


与えられた選択肢から選ぶ。
それが自由なのか?


4.抱きかかえて欲しい質問


本記事に共感する人にとっては特に抱えて頂きたい質問があります。その質問と共に生きることをお勧めします。


また、本記事にキョトンとされる方には是非、この質問を持ち帰り、身近にいる人に尋ねてみて下さい。質問に真摯に答える方がいらっしゃったら是非、その人は大切にされると良いです。

質 問
「真の人生はゲームチェンジからやっと始められる。その理由とは?」

私の人生のはずなのに、一体どうして?


そのように思われる方にはとても意味が深く、価値が高い質問へと化け続けていくことでしょう。


読んで下さって有り難うございました。


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