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硬質な海へ

 いつの頃からだろう。『硬質な海』という単語が僕の中で存在感を放つようになったのは。英訳するならcubic seaがふさわしい気がする。
 それは透明なガラスの立方体に入った激しい波だ。
 僕は寂れた港町で多くを過ごしていたためか、ことあるごとに潮の匂いを嗅いだり、汽笛を聞くなどしていた。しかし、日本海側で荒波で遊泳禁止なため一度も海を泳いだ試しがない。果敢なサーファーが波乗りをしているのを眺めてはいたが、同じことをしようとは全く思えなかった。
 海猫という歌舞伎役者のように隈取りをした凶暴な鳥の鳴き声を聴きながら海を眺めていると、自分の小ささがよくわかる。うみねこの野性に勝てる気が全くしない。そんな僕をじっと見ているのは、晴れていても美しい青に光ることがなく常にコールタールのような黒い海であった。フランス語では母なる海でLa Mer、というらしいが、僕からすれば父なる海である。
 だが、それ特有の優しさも孕んでいたことは事実だ。漁業用の網やブイやプラスチックごみやらが散乱したカオスな浜辺も砂鉄を多く含むため黒々していたが時々シーグラスの大きいのを見つけ宝石のように大切に保管した。
 時々会える父ともよく海に行った。僕はいまだに父がどのように生計を立てているのか理解していない。踏み込んでも碌なことがないような気がしている。
 アル中気味な父はよく海への道中焼酎のワンカップなどをコンビニで買い、酒臭い息を汽車が黒煙を吐くように海へ歩いた。「遅えぞ」といつも僕よりも遥かに長い足で先をゆく父の影と立体視のように手を繋いでは後へ続いた。
 いつだったか、僕が小学校から帰ってくると実家のアパートのドアを開け放したまま、パンツ一丁の父が玄関に座布団を敷いて座っていた。背中の皮膚がところどころ白くふやけ、全体的に日焼けしているのを見て薄寒さを覚えた。クーラーのない部屋で唯一冷たい風を背中に当て火傷を治しているらしかった。父によると、何を思ったのか海につくなり急にTシャツを脱いで日光を浴び、水脹れで背中の皮がべろべろになるまで焼いたようである。
 そしてさらに驚くことに、ベランダを覗くと大量の流木があった。
 全て父の仕業である。祖母は仰天しており、呆れてほとんど無口になっていた。たまに帰ってきてはこういうよく解らない悪戯をする父を前にしても、僕は特に感慨も感動もなく、その様子をひたすら眺めていたのであるが、その奇行を悲しく思ったのか祖父が父とともに飲もうとあらかじめ用意していた高級ウイスキーを台所に流す姿に、大人って馬鹿だなあ、と思った記憶がある。祖父が胃癌で病床に臥してる時も、父は近所を遊び回っていたし、祖父の腹部に手を当てては自分は神通力を持っているため祖父は死なない、と言い張っていた。それは彼なりの悲しみや戸惑いの表現であったに違いないが、祖父の腹部に手を翳す日焼けした横顔は口ぶりよりも頼りなく、切なかった。
 そんなこんなで、僕はほとんど海に近づかなくなったのであるが、高校に入りようやくできた友人と自発的に海辺を散歩するようになった。それが海との再会である。
 友人は非常に感受性が豊かで、夕暮れの光の中を歩けば幾つもの即興の詩を口遊むような人物であった。彼は人間よりは動物と過ごす方が楽であるとよく言っていた。そんな言葉を聞くと、自分がベラベラ喋る言葉も、人間であるのもなんだかつまらないような気がし、動物への嫉妬心を燃やすなどした。
 そんな彼であるから、汚れ切った人間社会に適応するのは難しいと見え、徐々に精神を病んで行った。
 ある日を境に彼は全く登校しなくなり、僕の高校生活は流行りの熱病とともに灰色になった。折角、進級しても同じクラスだったのに無念であった。
 担任から彼の状況と連絡可能であるかを確認したのち、散歩に誘った。体が鉛のように重くなると聞いていたから、断られるだろうと思っていたら、海岸沿いなら歩きたい、とのことだった。
 その日、僕は何を話しても傷つける気がしてならず、特に何もできないのでひたすら黙って歩調を合わせて歩いた。いつ彼の体が海の底に沈むことを希求するとも知れないと、終始怖かった。そうなった時、止める理由は山ほどあるが、自分がそれを押し付けるのはエゴであると思い、彼がそう口走らないことを切に願っていた。
 朝から晩まで、計七時間くらいひたすら歩き、気がつけば携帯の歩数計は3万歩を越えていた。それが多いのか少ないのかはよく解らないのだが、それ自体が病を治癒することはなかったようだ。
 友人がその日のうちにふらついて何度か浜茄子につまづいたり、浜茄子の赤い実は食べられるのだろうかなどと言っていたため、筆者の記憶の中でその日の海はキツい潮の匂いよりも浜茄子の薔薇に似た香りで彩られることになった。
 そのような日々を重ね、我々は今年成人を迎えるのであるが、僕は成人式という概念を今日までごそっと忘れておりスーツ一着用意していないため、出席しないだろう。
 先日近所の居酒屋にて件の友人と再会した時、印象がそう変わっていなくて安堵した。友人はほぼ寛解しているようであった。
 しばらく歩いてから、互いに人生初めての居酒屋の暖簾をくぐった。
 その席で、馬鹿だなあ、と二人で嘲っていた大人という領域に生まれてから20年経ったからという理由だけでなる不条理さを語り合った。
 しかし、僕は実際言葉を重ねると彼が過ごした鬱屈としていたであろう日々が彼により深みを与え、すっかり大人びてしまった語り口を見るにつけ焦燥を覚え、屈折した腹いせのつもりで慣れない仕草で酒を注いでは飲ませた。注ぐ自分の手が父に酷似してきているのも嫌だった。
 君はつまり、あの硬質な海に飛び込まねばならないのだ。それこそがイニシエーションなのだろう。そのガラスの立方体を飛び出すために、外に広がる海を泳ぐために何度も沈まなければ、そして泳ぎ切らなければならないのだ。
 ガラスのコップの中の酒が硬質な海と二重写しになって僕にそう言った。友人は僕にそう語りかける酒を次々飲み干してゆく。なんとも言えない爽快感と敗北感が胸の辺りに冷たい火を灯す。
 友人と別れた夜道、冬の風に吹かれながら僕は頬の火照りを鎮めた。ああ、僕はこんなにも幼い。友人の仕草ひとつでこんなに気持ちが揺れるのだもの。父も、こんな時があっただろうか。
 僕はかじかむ指に酒臭い息を吹きかけながらいつもより遠回りして帰路に着いた。

2024/01/06
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