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フィルムカメラ持って飛騨金山の路地めぐり

バスで世界遺産巡りをした翌日、帰京がてらに立ち寄ったのが飛騨金山。


いつのもの手書き地図 飛騨金山は高山本線の駅

飛騨金山から特急「ひだ」に乗り、1時間弱の飛騨金山駅に降り立ちました。
現在は温泉で有名な下呂市に組み込まれてますが、もともとは金山町という独立した町でした。


駅を出て散策スタート。
まずは駅前の風景。

川またぎ鉄塔。
ちょっと変わってるけど、これはまだまだ刺身のツマ程度に過ぎない。


金山橋を渡る。
この橋の下を流れるのは飛騨川と馬瀬川という二つの河川、川の色が違うのが分かります。
実は、ココが飛騨国と美濃国の境目。
駅名に「飛騨」を冠していますが、金山町自体はもともとは美濃国に属しており、飛騨川と馬瀬川によって飛騨国と美濃国に分かれ、飛騨国側に駅があることで「飛騨金山」という駅名になっています。
金山町全域が飛騨国側に組み込まれたのは駅開業後の昭和30年です。
なお、飛騨国と美濃国が国境を巡って争った地でもあり、その名残とされる場所も残っています。

金山橋の向こうに見える橋へ、その名も「境橋」。
ここが二つの国の境目であることを示している橋の名前です。

飛騨金山は飛騨街道の宿場町として栄え、街道沿いにも往時の繁栄の名残りを思わせる街並みが残っています。
古い佇まいの造り酒屋もありますね。


飛騨街道を歩く。
異彩を放っている木造三階建て、鰻屋さんだった建物です。
通りの街並みも歓楽色が色濃いですね。


木造三階建ての旧鰻屋さんの路地、石段になっています。


その先には共同の洗い場がありました。


飛騨街道を更に歩きます。


街道から外れた細い路地の向こうに、古い銭湯が見えます。


この銭湯、既に営業を辞めてかなり年数がたっています。
実は中に入ることができます。
渋いロッカーだ。


更衣室の中の様子。
時が止まったかのような空間。


浴室。
浴槽は小さめ、家族風呂程度か。


細い路地を進んでいきます。


路地に沿って水路が流れています。
その水路に沿って家々が並ぶ光景。


ホント、ここ通っていいの?
そう思わせる細い路地。

街道から外れるとみられる、味のある細い路地。
その細い路地、人間の体の筋(すじ)と骨(ほね)のように複雑に絡み合うように迷路状になっていることから、飛騨地方では「筋骨(きんこつ)」と呼ばれています。
この「筋骨」と呼ばれる細い路地、もともとは国の道路で、今も公道扱いとなっていて、ちゃんと自由に行き来できます。


水路や通路の上に民家の増築部。
まるで芸術作品のようです。


この飛騨金山、昭和40年代、馬瀬川上流に岩屋ダム建設にともない賑わいを見せ、駅前から街道沿いにわたって商店が立ち並び、現在も当時のままの店構えが多くみられます。
同時に、筋骨と呼ばれる路地も昭和時代の映画のセットのような風景を見せています。


ガチな昭和レトロの街並みなので、フィルムカメラが合う街でもあります。
(ここに載せてる写真は全てフィルムカメラで撮ったもの)
現在、飛騨金山では「筋骨巡り」と呼ばれる路地裏探検を前面に売り物にしていますが、平日は観光客の姿がなく、人通りが少ないので、普段の路地風景をそのまま感じることができます。
実際に人と出会った場面はほとんどなく、出会ったのも観光客は見られず地元住民ぐらいでした。
そもそも「筋骨」と呼ばれる路地も、普段は地元住民が通る生活のための道ですからね。

迷路のようにはりめぐらされる路地、いろいろな要素が絡み合っていて密度が高いですね。


古い河川専用許可証、ちゃんと増築が許可されているのを示してます。
もっとも、年代がかなり古いですが。

五箇山や白川郷、飛騨高山といったメジャーな観光スポットとは対照的に、まだ知る人ぞ知るというレベルの飛騨金山、お勧めですぞ。

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