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向きあうことに人数は関係ない

よく、「こういうことに向き合わなきゃいけないからひとりになりたい」という話を聞く。

僕も、仕事をすべて遮って何かに向き合いたい時があるし、実際その効果はある。具体的には、「自分が何かを探しているとき」「自分を探求しているとき」には、1人で、すべて遮ったほうがよい

一方で、そうではない場合もある。例えば、「自分が迷っているとき」だ。

「迷い」は、残念ながら1人で解決するのは難しい。
真っ暗な道で光も見えてない、かと言って火の着いたロウソクもない、ホントに漆黒を歩くかのようなものである。

そういうときに、強がって「大丈夫、1人にしてほしい」はちょっと違う。漆黒の闇の中では歩いてる時につまづく石も見えないし、ハマるかもしれない穴も見えない。すごく危険だ。

向き合うこと、は誰かと一緒でもいいんだよ?

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漆黒の闇にいる人には、ろうそくでも行灯でも提灯でもマグライトでもいいから、光を持った人がついていてほしい。

「なにかに向き合う」のに、人数は関係ない。

一緒に歩いてくれる人がいるなら一緒に歩けばいい。

先を指し示してくれる人がいるならばその人に従えばいい。

苦悩を理解してくれる人がいれば一緒に向き合ってもらえばいい。

もっと、がんばらない。

ボクだって、苦悩はある。でも誰かの苦悩と向き合うことは苦ではない。

だから、苦悩に一緒に向き合って欲しい、と思ったら声をかけて欲しいな、と思う。

その「苦悩」ひとつひとつに、ただ一緒に向き合いたい。そんな思いで。

それによって生まれるものは、癒しかもしれないし、救いかもしれないし、はたまた進歩かもしれない。

だから、「迷ってる人」は「1人で向き合う」のではなく、「誰か向き合ってくれる人を見つける」ほうが適切なんだよね。

というわけで、いつでもコメントで連絡お待ちしております。

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