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僕が憧れた歌手、KAN動をありがとう【しまさんの読むラジオ】

しばらく筆を執らずにいましたが、noteが「30日までに1つ書きあげると10ヶ月連続投稿になります」と通知をお届けしてきたので、書きます。ちょろい。

11月17日、僕の好きな歌手の訃報が。

KAN(本名木村和)さんが亡くなった。61歳と聴いて、まだお若いのに、と思った。

僕自身は「愛は勝つ」しか知らない…ではない。まさかの。

他の曲もいくつか知っているから、そしてその歌たちが皆好きなのであった。せっかくなので紹介したい。

「愛は勝つ」

KANさんといえばこの曲だ。

この曲を最初に聴いたのは、小学校の合唱コンクールで、僕が3年の時の4~6年生の合唱で歌われていたものだと思う。

ちなみに母校は毎年6年生の送別行事の一環として音楽を送り、6年生も在校生に音楽を送る。「送別音楽会」が本名で、みんな楽器も練習し、歌も練習する。そして6年生だけは最後に、布施明の「マイ・ウェイ」を歌って締めるというプログラムだった。ここまで書いたら母校バレるかな。笑

さておき、「愛は勝つ」については、以前noteを書いたことがあった。

“傷つけ傷ついて愛する切なさに すこしつかれても
Oh, もう一度夢見よう
愛されるよろこびを知っているのなら”

「愛する切なさ」という言葉で表現していることが面白い。
自分から起こしたその行動が報われない、場合によっては拒否されることって多いと思う。

でもKANさんは「もう一度夢見よう 愛されるよろこびを知っているのなら」と切り返している。

家族から愛されていること、それ自体を自覚できれば、もしかしたら「愛すること」自体はいつか返ってくるのかもしれない。だから「もう一度夢見よう」ということなのかな。

「愛は信じることさ」より

KANさんの名曲とだけあって、歌詞をひとつひとつ切り抜くだけでも結構素敵なところが多い。ここでは最後のサビだけ入れたい(他の曲を紹介したいので笑)

心配ないからね 君の想いが
誰かに届く 明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ

KAN「愛は勝つ」より

呼びかけるかのような歌詞が特徴的だと思った(改めて聞いて。)

ラブソング、ともなると結構「恋して苦しい」系(槇原敬之の「もう恋なんてしない」、BISHの「猫」、ゆずの「桜木町」などなど)が多い気がしているんだけど(勝手に)、ここまでストレートに「愛を届けよう」というメッセージの曲は聴いていて清々しいと思う。

「何の変哲もないLove Song」

ともすれば、他の曲はどうなのかなと思って、自分が知っている曲を思い出すと、KANさんの曲自体まあラブソングの多いこと。笑

「恋」ってタイトルに入っている曲だけでも5曲くらいあった。

そんな中で「ラブソング」とダイレクトにタイトルに入っているのがこの曲である。

曲自体は2008年リリース。2021年にはMr.Childrenの櫻井さんと音楽プロデューサーの小林武史さんのBank  Bandがカバーしている。

晴れ渡る空に白い雲 君と僕がいて
なんでもないんだけどただ笑ってる
たとえばそう 何の変哲もない愛の歌を歌おう

KAN「何の変哲もないLove Song」より

この曲の歌いだしが一番好き。


「何の変哲もない愛の歌」という単語が繰り返し出てくるこの曲は、日常を愛すること、がテーマな気もする。


最近は、日常が平和であることが、「当たり前ではないんだな」と思うことが増えた気がする。

ちょっと前は、死ぬかもしれない感染症。

今は「新しい戦前」。

これからどうなるんだろう?とも思う(というか僕は思っている)。


一方で、この歌詞をふわっと聞いていると、「君」がいればなんとかなるかもしれない、なんて思う(ような歌詞になっている)。

普通の旋律で ひねらない言葉で
たぶん君が その奥の方を読み取ってくれるだろうから
(中略)
途中までだっていい 無理しなくたっていい
このつづきは 君がきっといつか作らせてくれるだろうから

KAN「何の変哲もないLove Song」より

とここまで引用して気付いたのは、Love Songといいつつも、「これって、芸術を作る側の感覚なのかな?」ということ。

絵も、写真も、文章も、いわゆる「アート」に類するものって、こういう姿勢をしていると思う。「あとはあなたがどう感じるか、だよ」と。

実際、この曲を聴いて、いろんなことを今更ながら感じている。初めて聴いた当初はどんな感情だったんだろうか…?

▼全歌詞

「よければ一緒に」

自分が「愛は勝つ」の次くらいに聴いて、すてきな曲だな、と思ったのはこちら。

ぼくがひとりでできることなんてなにもない
君とふたりでできることならいくつかある
ぼくひとりでできることないわけじゃないけど
よければ一緒に そのほうが楽しい

「よければ一緒に」KANより

歌いだしのこの部分が結構好きで、ついつい後も聴いてしまった記憶である。(歌いだしに弱いのかしら)


フレーズの最後に

「よければ一緒に そのほうが楽しい」

って逐一ついてるのが本当に良い。

「1人でもいいんだけどさ、せっかくだしよければ一緒に」

って逐一言っている感じ。

ずっと一緒に居ようね、という押しの強さはなく、「よければ」くらいの感覚なのも、気に入った理由かもしれない。


「愛は勝つ」が熱情であれば、「何の変哲もないLove Song」と「よければ一緒に」は着飾らない愛の歌っていう感じかな。

▼全歌詞

「愛は勝つ」を聴いたのが、小学生で、特に恋愛とか意識したことなかったから、歌詞のインパクト(必ず最後に愛は勝つ、らしいよ)だけが記憶に残っていた。

対して、「よければ一緒に」を初めて聞いたのが高校3年生くらいだったと思う(それこそ先ほど載せたYoutubeの動画を偶然見た時だったはず)。

男子校(しかも全寮制)に6年間こもっていた中、特に高校2、3年生のときは、勉強と部活以外ほとんど青春を捨てていたんだけど、音楽だけが不思議と人間に引き戻していたのかな?と思う。

でなければ、わざわざのんびりしたラブソングなんか聴かない気がする。事実、それまではTHE BLUE HEARTSやBOOWYなど、ロックやパンクばっかりだったし。


そういう意味では、感動した部分があったのかもしれない。ここでいう感動は、別に「涙が止まらない!」とか、「揺り動かされる!」という劇的なものではなく、あくまで「ああ、これはいいなあ」と感じたくらいだったけど。


KANさんの、「愛は勝つ」イメージが強すぎるので、取り上げるのがちょっと恥ずかしかったんだけど、訃報を受けて、このnoteを書いている中で、「何の変哲もないLove Song」と「よければ一緒に」の2曲も含めて、好きなシンガーソングライターの1人だと思った。


2023年の訃報を聞いた芸能人で、特に悲しかった。だから、悲しむよりも、「ありがとう!」という気持ちを、空に届けたいな、と思った。今後はカラオケで1曲くらい歌おうかしら。

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