1) 32歳 退職からフィリピン留学まで

はじめに

Noteを始めた理由は自分のこれまでの整理と、これからの記録の為が主です。イコールで自分語りでして、イタい記載も多くあると思います。
読んでいただける方には、その辺りを優しく放っておいていただけると幸いです。

その後を決めず退職、まで

仕事をやめることを決意したのが2024年4月頃。
それからも少し考えたが、連休明けに上司に伝え、6月末で退職することに。
この会社は自分としては2社目で、様々な学びと実践もあったが、行き詰まり病んでしまった。

その後も多くの人や役職者とも会話をしたが、辞める決断は変わらず。

「辞めてどうするのか?」多くの人に聞かれたが、自身に答えがないので答えても伝わらず、のやりとりだった。
退職にあたって、何か自分の好きなことをやろうと決めていた、本当にもう、それしかない。

自分が好きな”趣味”としては”お笑い”、”格闘技”だが、今決めるべき「好きなこと」そういうことでもないと思う。
いつも思うが、自分のことが一番わからない。
他人のことはあれこれ考えることができるが、そこで言っていることは
突き詰めると、経済的な選択を提示しているだけなように思う。
酒場で学生に助言をするとき(偉そうに)、結局その場や先々の年収につながることを現実的に回答しているだけなようだ。
そして他人から自身が受け取るメッセージも同様だが、今までの自分はそれを大いに参考にし、そのくせ”自分らしさ”や”やりたいこと”、”求めるもの”に左右され、継続的な忍耐や努力がなく、不満と葛藤で混乱していた。

とにかく32歳になっても大した決断を経験せずに、ふらふらと環境に依っては自意識が大きいままなのだ。
多くの挫折や諦めも経験して、他人と話すときに自意識は感じさせないように上達した。
ただ、根っこにある”何かしたい”や”俺なら何かができる!!”という気持ちに向き合い、行動できないまま、ぐずぐずと青年期を終えてしまったのだ。
自意識過剰、バカ、そんな見られ方もするだろうと思う。

32歳というタイミング、焦燥

ここからの動き出しは遅れを取っている。
20代中盤になる頃には、認められる才能はすでに世間から評価を受けている。
30歳にもなれば本物たちは世界的に認められている。
井上尚弥や大谷翔平のようなアスリートだけではない、美術家や作家、実業家、会社員でさえそうだ。

自分は何も成していないのだ。
どう生きるか、ということに向き合うのであれば、この辛さをしばらく受ける覚悟が必要で、焦燥感や劣等感で落ち着かないが、とにかくこれから漕ぎ出すしかない。
それでもとにかく、動き出して、始めるしかないのだ。

留学に至る思い

そこで考えたが、これまでずっとコンプレックスで、
できるようになれば世界が広がると感じていた”英語”を本腰入れて取り組もうと思った。
社会人になってから、多少の勉強をし少しはやり取りできるが、本格的なビジネスで使えるような能力ではない。
日常会話にしても、早く話されると飛んでしまう。
これをなんとかして、自身の世界を広げよう、そう決意した。
フィリピン留学を決意し、2ヶ月分の契約を行う。
セブ島のバギオという街の学校だ。
実際に始めて、足りなければまた数ヶ月延長すればいい。

会社員を続けるかもわからない、自分で事業をやりたくも思う。
いづれにせよ”英語”、これは自分のやりたいどの方向性とも一致するスキルだと思い、また、コンプレックスに真っ先に確実に取り組めるものだと思い至った。


留学決定

そんなこんなで8月4日からバギオの学校に向かうことにした。
退職は6月末なのでそれまでの1ヶ月間は保険や年金の申請、家族、友人、(退職した)職場の人と話すこと、アジア漫遊の時間にあてることにした。

つづく




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