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Film Note。〜『AI崩壊』編〜

ネタバレが嫌な人は読まないでください!

映画の粗筋ではなく、そこから学ぶ教訓や映画が私たちに発信するメッセージを考えてみます。
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映画『AI崩壊』を観て。

この映画は、SFのような不思議なお話ではなくて、
これからの未来で、
これからの日本で、
本当に起こるんじゃないか、っていう舞台を用意してくれている。

現在の日本の抱える問題と将来普及されるだろうAIがどのように交わり、
どのような課題が私たちに見えてくるんだろう、

という日本の未来を描き出している。


『AI崩壊』が私たちに問うた最大の命題は、

「AIはヒトを幸せにできるだろうか?」ということ。

AIのぞみ (作中より)


AI(人工知能)は、人間生活をより快適に、より豊かにしてくれるのは間違いない。

交通状況や天気予報はより精度を増し、

同時翻訳によって言語の障壁が解消され、

教育の現場ではひとりひとりの学習プログラムをより緻密に、より効率的に組むことができ、

人間の健康状態までも24時間体制で管理・監視ができ、改善方法まで提供してくれる。



でも、様々な懸念材料もある。


まずは、AIがヒトの仕事を奪ってしまうんじゃないか??

最初に失われる仕事は、誰にでもできるような作業や面倒な事務的業務。

でも、そこからタクシーの運転といった技術職や弁護士といった知的業務でさえとって代わる未来がくる。

映画の内では、仕事を失った人たちが抗議やデモを行っていた。

次に、そもそもAIやロボットに対する不信感。

やっぱり、所詮は機械。所詮は人工物。

高度に洗練されたプログラムであっても、長年機能し続ければ、いつかバグが生じるんじゃないか。誤作動が起こるんじゃないか?

そんななんとなくそういうものに依存しきれない精神的な障壁がある。



そして何より危惧されているのは、
AIの真骨頂であるディープラーニングによって、人間の知能や制御を超えてしまうこと。

AIが経験し、集めた膨大なデータを蓄積・分析して、AI自らが自律的に学習をしていく。

そして、
いつしか人間の手に負えないほどに進化し、いつしか暴走してしまうんじゃないか。

AIが自ら行動を起こし、人間に牙を剥くそのときがくるんじゃないか。

映画の舞台はまさにここ。



AIはヒトを幸せにできるだろうか?

だが、この命題を前にした主人公は、こう答える。

「その問いは、こう言い換えることができるかもしれない。

『親は子を幸せにできるだろうか?』と。」


鳥肌が立った。


親は子を幸せにできるのか。

そんなことは分からない。

確かに幸せにする事例は多いかもしれないけれど、

わが子を不幸に陥れる悲しい事件も巷には溢れている。

これは紛れもない事実だ。

そして、親にこの質問をなげて、自信をもってYESと答えられる人は少ないだろう。

自分の子どもを幸せにできるかどうかなんて、わからない。

でも、だからこそ、
我が子が幸せだと思えるように、親は日々頑張るんだ。

自信がないなりに、できることが限られているなりに、日々我が子と向き合って奮闘する。

そこに必要なのは、我が子に対する溢れんばかりの "愛"だ。



それと同じじゃないか?


AIは人間に歩み寄ってくれるかは分からない。

でも、分からないからといって子育てを放棄しようとはならない。

分からないなりに、
必死に向き合っていい世の中をつくろうと日々努力する。

AIと共存していくためには、洗練された技術や専門的な知識はもちろんのこと、

未来を見据えるために日々学び続けること、

新しいものに順応していく柔軟な姿勢が必須だ。

そう、AIが人間を幸せにできるかなんてわからない。

でも、だからこそ、
そうなるように日々学び続け、日々奮闘し、
そして日々向き合っていくことが、大事なんじゃないかな。

なにかに対して、一生懸命考え、向き合い、奮闘する。

それは、"愛" そのものだ。


作中では、結局AIを暴走させたのは、ヒトの手によるものだった。

人間には、AIを良く使うことも、悪く使うこともできると教えてくれた。

つまり、AIによって世の中が良くできるかどうかは、人間の手に委ねられている、ということだ。

AIと共存していくためには、
人にしかない "愛" がカギを握っているんだ。

AIが、人間だけがもつそのかけがえのないものを浮き彫りにしてくれる。

人間の "愛" が、AIによって試されているんだ。

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