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島原天草をめぐる冒険#01島原天草の乱 03島原天草につなぐストーリー

 島原天草の乱をめぐる「謎」について、イエズス会宣教師ザビエルの来日から遡って考える動画を製作しています。この度、第3回目を投稿しました。
 けれども今回の動画構成もまた、「謎」ばかり吹っ掛けておきながら、何ら解説もせず放置したまま先へと進んでいます。昨今の「解説動画」のように短時間で簡単にわかると銘打った動画と、本動画は一線を画しております。
 短時間でお手軽に見られるよう、工夫は施しています。ただし、観てもすぐには理解できない。挙句には参考文献を読めと言う。一見、塩対応動画と思われるかも知れませんが、しかし、分からないからこそ人は興味がそそられるものではないでしょうか。そんな屁理屈を以て、今後も「謎」ばかりで一向に解決しない動画を作り続けていきたいと思います。
 
 ただ、今作3回目の動画は、先走ってたくさんの情報を詰め込み過ぎてしまいました。
 いかほど詰め込み過ぎたかは、動画をご覧いただきたいのですが……動画を見るのはかったるい!とお考えの貴殿のために、以下のとおり内容をざっと書き下します。
 

  • ・1550年、ポルトガルの商船が平戸に到着した。

  • ザビエルは商人を介してインドのゴアと連絡を取るため、鹿児島から平戸へ赴く。

  • ザビエルの本来の目的は、京都の足利将軍に会うことであり、平戸はあくまで寄り道。

  • 現在の平戸(長崎県平戸市)の港には、ポルトガル商人を偲ばせる施設などの痕跡がない。

  • その代わり、平戸オランダ商館が復元されて建っている。これは後の時代の話。

  • 1600年前後は、ポルトガルとオランダが世界の覇権をめぐって争っていた。

  • さらにスペインやイギリスも含まれるため、4か国の争いが世界で繰り広げられていた。

  • この4か国の争いが、1637年の「島原天草の乱」に影響を及ぼした、という仮説。 

 今後の動画内容の展開を予告したものですが、果たして3分弱の動画でこんなに喋って良かったのでしょうか。世界史が好きな方にとっては「これからイギリス・スペインのアルマダ海戦や、オランダ独立三十年戦争、英蘭戦争の話になるんですね!」と期待感を煽りに煽る一方で、世界史が嫌いな方は「次から次に暗記用語を……、これだから世界史は」などと眉間にシワを寄せまくっていないか、心配になります。
 しかし投稿者のわたくしは、当時の世界情勢を、「島原天草の乱に収斂する」というストーリーを組み立ててみれば、一連の流れとして押さえることができると考えています。これから動画で、細切れに少しずつ紹介していきます。個別の事件を暗記するより、一つの物語として捉えていけば、世界史というものがかなり理解を深められると確信しています。
 
 さて、今回の動画で提示した「謎」のひとつ、「平戸はいかにしてポルトガル商船を誘致したか?」も、誘致するに至るストーリーを組み立てていかないと、答えに辿り着けないと考えます。もちろん、歴史好きの方はすでに「あぁ、王直ね」と鋭い勘を働かせていると思います。そうでない方は、ぜひ今後の動画で提示する事件等を組み合わせて、「なるほど王直か」と思っていただけるようになればと願っております。
 もちろん、この王直(人物名です)もまた、当時の世界情勢を左右する重要な人物であり、それが廻り回って「島原天草の乱」にも影響を与えることになった、と考えています。

※関連動画 「島原天草をめぐる冒険 #01島原天草の乱 -03平戸へ誘致」
※参考文献
 ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、1998年
 山本博文『寛永時代』日本歴史叢書(吉川弘文館)、1996年、原本1989年
 福井憲彦『興亡の世界史 近代ヨーロッパの覇権』講談社学術文庫、2017年、原本2008年
 佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』中公新書、2018年
2022年7月17日 掲載

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