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何とかなる…からのつれづれ

昨日から落ちこみ続いている。
けれど「noteで愚痴ろう」と思う程度に……。
なので、本当はたいしたことがないのだと思う。

昨日は焼酎の炭酸割りを何杯か飲んで寝てしまった。
途中目が覚めてうとうとして、を繰り返した。
夢をたくさん見たけれど、覚えているのは、母を探さなければいけない夢。
「だってもういないのに…探せるわけないのに…」
と夢の中で葛藤していた。
葛藤しながら目が覚めた…もちろん寝覚めが悪かった。

母が亡くなって不安が強い。
弱っていく母を見ながら仕事をセーブしていた日々の方がよほど不安が強かったと思うのに、今の方が不安が強い。
何故かなぁ…と考えたら、それは自分の必要性を感じられないからなのだと思った。

自分のことしかわからないけれど、私は人を通さないと自分の必要性を確認できない。
他の人はどうなんだろう。
うーん、わからない。
初めての出産で子供を育て始めた時、生まれて初めて自分の存在意義を感じた。
自分の存在意義を実感できるのは強烈な幸福感だった。
なので、シングルになってから迎えた子供の反抗期には苦労した。
反抗期の子供にではない、自分の気持ちの落としどころに苦しんだ。
いろいろな本も読み漁った。

子供も苦しかったかもしれないけれど、何とかその時期を過ぎた。
その時の共依存の遺産はしっかり娘が抱え込んでいる。
もしかしたら娘が最初から持ち合わせていたものも合わせてなかなかのものだ。
息子が一人暮らしを始めたときも強烈にロスだった。
子供が決めたことだから反対もしつこくもしなかったけれど、自分が今いる意味がわからなくなる感じがした。
よくあることなのか、自分が変なのかわからないけれど、それも何とかその時期を過ぎた。

父がいなくなり、母がいなくなり、子供は何とか一人立ちができたように思える。
「頑張ったね」とねぎらっていただくことも多い。
順番を守って両親を見送ったこと、何とか子供が大人になったこと、幸せなことなのだと思うのに、何だか自分を必要とする人がいなくなってしまった気がしている。

そんなことはないのは頭では理解しているし、自分が接してきた人生の先輩に対してそんな気持ちを持ったこともないのに、自分だけはもう必要とされないみじめな気持ちになっている…情けないことだ。

そんな時に限ってテレビでは

「70歳になっても、持病があっても入れる保険があります」
(70歳になったら持病くらいあるだろう。70歳になって保険に入ろうと思うのは贅沢なのか!…あ、まだ70歳には一回りありますが…)
とかとか、
「お母さん、お墓見に行ってみない?いいところがあったのよ」
(そんなの子供に明るく言われたらちょっとショックかも…)
とかとか
「お葬式の費用くらい残しておきたいのよね~」
(そりゃ、子供に迷惑をかけたくないけどね…)

なんていうコマーシャルが流れてくる。
少し前までは何となく口に出すことがタブーだったことを、明るくクイズ形式だったり、親思いの子供の言葉にして宣伝してる。

もちろん、そういうことをきちんと話すことは大事だと思う。
思うんだけど、「死んだ後の事まできっちり心配しろ」と強制されている気にもなる。

色々な意見はあるのだと思うけれど、例えば子供を妊娠した時、うれしかったけれど「こんな収入でやっていけるのかな」と不安でもあった。
そんな時、母が言っていたのは
「何とかなるよ」
という言葉だった。
最近聞かないな、その言葉。
仕事で人が足りなくてどうにも大変だったとき、おまじないのようにみんなでその言葉を言い合った。
「今までだって何とかなった。今日だって何とかなる」

東京都の出生率が1.0を切った。
都知事選では子育て支援が焦点のひとつになっているようだ。
安心して子育てができるような街、東京…素晴らしい
でもね、じゃあ貯金をいくら貯めて、どれだけ習い事をさせて、どれだけ休みを確保出来たら安心できるんだろう。

そんな事を考えたら子供は産めないと思う。
ましてや今の報道を見れば、子供を産んで育てることがこわくなるような内容ばかりな気がする。
いいな、と思えるニュースは大谷翔平か佳子様のこと以外はほぼない。
子育てはただでさえ不安なもの。
自分より大事なものを世の中に送り出していく。
不安がない方がおかしい。

でも、そんな不安を
「何とかなる」
と思えない。
「何とかなるよ」
と声をかけられない。

お金だけじゃない。
時間だけじゃない。
自分が死んだあとのことまでも、きっちりと考えなければいけないようだったら、そうしないと誰かに迷惑がかかってしまうのか、と思ったら
「なんとかなんてならない」
と思う。

「何とかなるよ」
多少無責任でもそう笑える。
笑って一歩踏み出せる。
そんな世の中だったら笑って死ぬこともできると思うんだけど…。

お葬式もお墓も、残された人のためにあると思っている。
お金をかけてもかけなくても、残された人が満足できれば良い、と思っている。
常に将来のリスクに備える人生なんて、リハーサルばかりしていて本番を迎えない舞台のようなものだろう。

あれ?どんどん話がそれてきてしまった。
不安だった気持もまぎれたかな。
こんな無駄話を書ける程度には元気なようです。
ありがとうございます。
少しは穏やかな気持ちでベッドに入れそうです。



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