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想像力が育つところ

スマホはすごい。
もうスマホがない生活なんて考えられない。
最近はスマートウォッチまで使うようになって、人と話をしていてもさりげなくメールやLINEをチェックすることができる。

私は時代遅れで未だにキャッシュレスはそれほど使っていない。
それでもスマホの利用料支払いにのみクレジットカードを紐づけているので、いざとなればその紐づけを使ってアマゾンだってLINEスタンプだって買うことができる。

テレビの見逃し配信だって映画だって観ることができるので、お風呂に持って行って体を温めている時間や就寝前のナイトキャップ代わりに観たりしている。

計算もできるし調べものもできる。もう電子辞書なんていらない。
何なら話しかけるだけで文章にしてくれるので、急いで長文を作らないといけない時はすごく便利。
忘れてしまった俳優の名前、歌の題名、漢字や類義語もぜーんぶ教えてくれる。
釣りで大量にもらった鯵や鯖のさばき方だってYouTubeで覚えた。
正直料理のレパートリーも広がったと思うし…。

暇なときにはゲームもできるし漫画も見られる。
しかも無料…(もちろん通信利用料はかかっていますがそれは忘れがち(笑))

情報に対するコスパがいい。
昔だったら本屋や図書館に行って調べなければならない知識を、その場で手元で手に入れることができる。

今は3歳の子供だって巧みにスマホやタブレットを操作してゲームしたり、アマプラでアニメを観たりYouTubeで音楽を聴いてる。
ファミレスに来ている家族が親子共々スマホを見ていたり、子供だけ別席でスマホを見て、親御さんと思われる方々はおしゃべりに花を咲かせている場面だってよく見る光景。

「それでいいのか?」と思う反面、そうしてでも自分の時間が欲しかったのも子育ての時代だったなぁ、と思う。

で、ふと思ったのが、スマホがなかった時ってどんな風に過ごしたっけ?
ガラケーなんてたいしたことはできなかったし、Wi-Fiがなかった時には情報を得るのにパケット代が結構かかったし、その前は通話料設定だったからこれまた高かった……って合ってるかな(笑)
子供がガラケーでネットにずっと繋いでゲームしてて、激怒したことがあったっけ。

もっと昔、学生の頃、子供の頃、ちょっと暇な時間が出来た時何してたっけ。
例えば、バス停や駅のホームに立っているとき、友達との待ち合わせ、寒くてゆっくりお風呂に入りたい夜、なかなか眠りにつけないベッドの中。

久しぶりに電車に乗ると、電車の中が静かで少し驚く。
みんなスマホをしているか寝ているか…。
知り合い同士で乗っているように見えてもスマホを見ている人が多いような…。
先日友人と新宿に行ったとき、電車の中でしゃべっていたらあまりにも静かで周囲に丸聞こえ。
思わず途中からボリュームを落とした。

元々本が好きだったので、手持無沙汰の時には本を読むことが多かった。
でも、本を広げられない時もあって、そんな時はいろいろなことを考えていた。

子供の時には好きなアイドルの歌をレポート用紙に書き出して覚えようと一生懸命だったので、よく頭の中でその紙に書いた歌詞を思い出して歌っていた(当時はカラオケなんてなかったのに(笑))。
学生の頃は好きな男の子が何気なく発した言葉を(妄想気味に)頭の中で繰り返したり、親と喧嘩した時には家を出て一人暮らしをする手はずを(妄想気味に)考えた。

結婚してからは厳しい家計の中でどうやって食材を使いまわせるか、どうやったら実家に帰る時間を作り出せるか(すぐ近くだったのに)…子供が産まれてからは「ゆっくりしたい」「ぼーっとしたい」とひたすら考えていた(笑)

そうやってせっせと考えたことは、特になんの知識にもならないし、人にお伝えできるような情報にもならなかったのだけど、あれはあれで今の「私」を作るうえで大事な時間だったんだろうなぁとも思う。
そういう時間の中で、近しい友人と自分を比べてみじめな思いになったことも、意地悪なことを考えたこともあって、同時に人との関係の中で、「嬉しかったなぁ」とか「悪いことしたな…」というような思いを整理することもあったように思う。
それは自分の「想像力」を育てる時間でもあったのだろう、といまさら気づいた。

今の私にとって情報の需要と供給のバランスはとても悪い。
欲しい情報以上に情報が入ってくる。
いい情報も悪い情報もどうでもいい情報も…住んでいる地域、従事している業界、欧米や中東まで、いろいろな場所の情報がスマホを開いたときに私の承諾なしになだれ込んでくる。

情報が多すぎるとその情報の価値が低くなるような気がする。
それはそうだろう。
それが需給バランスというものだ。


今日、ものすごーく久しぶりにゴルフの練習場に行ってきた。
天気が良かったし、体を動かしかった。
誕生日に相方にもらったクラブを振れていないのも気になっていた。

ゴルフを始めた頃よく行っていた練習場のうち1つはスーパーになって、1つは取り壊されていてもうない。

なので、前に仕事の帰りに寄ったことがある隣の市の練習場まで足を伸ばした。
ボールが自動でギューンとティーに乗って出てくるのではなく、予め渡されたコインをボール貸出機からボールを借りる。
貸出機から出てきたボールをかごに受けて、都度自分でティーにセットする、昔ながらの練習場。
久しぶり過ぎてちょっと緊張した(笑)

打つのは100球と決めて、素振りを合間に入れながらゆっくり打っていった。
なんて書くと上手な人みたいだけど、相変わらず下手(笑)
どうしても頭の位置が動く、ついつい飛距離への煩悩に負けて力が入り腰が動く、手打ちになる…。
要はセンスがない…。

それでもひとかご50球を打ち終わって爽快だった。
風は強かったけれど天気が良くて、練習場は緑が多いからほっとする。
一息ついて、練習場を覆うグリーンのネットが大きく風で動くのを眺めていた。

ふと思い出してスマホを探した。
車の中で充電していて忘れてきていた。
取りに行こうか、と思ったけれど
「ま、いいか」
と思い直してまたぼーっと風の動きを目で追った。
ちょっとだけ、自然の中に来ている、という想像(妄想気味)に浸った。

もうひとかご打ち終わってお会計をして車に戻った。
スマホを見たけれど、急ぎの連絡なんて入っていなかった。

こんな時間も必要だ。







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