スタディ通信 22年8月号
今回のスタディ通信は、8月の『諸相』スタディのまとめと補足の内容になっています。
8月の『諸相』スタディでは、『宗教的経験の諸相』の「第一講 宗教と神経学」を参照しながら、プラグマティズムの考え方を12ステップに当てはめるとどのように解釈できるか、というテーマでミーティングを進めました。
そこで新約聖書のヤコブ書をとりあげ「行動のない信仰は死んでいる(Faith without works is dead.)」というビッグブックの引用を紹介しながら、その一文でビッグブックは何を伝えたかったかを考えました。今回の記事は、そのお話。
ビッグブックは「プラグマティズム」を前提にしている
まず、上記の内容を理解するには、ビッグブックがプラグマティズムという考え方を下敷きにしていることを確認しました(心の家路:①, ②)。
この確認作業は、心の家路さんの記事におまかせして、この記事では行いません。スタディではやったけど、シンプルいずなんちゃらってことで。
さて、プラグマティズムの考え方に従えば、まず行動の前には動機としての「考え方」があり、そして行動の後には結果としての「有用性」(役に立つということ)がある、ということでしたね。これはジョー・マキューも図でまとめています(ジョー 2008 : 28) (ケリー・ファウンデーション 2013 : 44)。
そして、行動の結果としての「有用性」でもって、動機としての「考え方」の価値を判断するのがプラグマティックな価値判断でした。下の図はそれを表しています。
まず①「考え方」があり → ②それにもとづいて「行動」し →③その行動の結果として「有用性」がある、ということを表しています。
そしてその有用性で、①「考え方」に価値があるかどうかは判断されるということでした。
これはジェイムズが著書『プラグマティズム』で述べている真理の「真理化」のプロセスでもあります。
ジェイムズの文章はちょっと小難しいですが、上記の図を見ればその真理の「真理化」のプロセスのイメージは理解できてくるでしょう。
ジェイムズのプラグマティズムにおいて、「考え方」は考え方だけでは「価値がある(真理である)」とは判断できません。常にその考え方にもとづく行動によってもたらされた結果が「有用であるかどうか」によって判断される、という意味で、価値(真理)はその一連のプロセスの中にあります。
プラグマティズムと12ステップ
さて、このプラグマティズムの図式を、12ステップにあてはめると以下の図のようになります。
少し情報量が多くてわかりにくいので、順を追って説明しましょう。
左側の青丸が動機としての①「信仰」です。これは前の図では「考え方」に相当します。私たちは12ステップを経た結果、霊的に目覚め、何らかの信仰を持ちます。
真ん中の緑丸は動機としての①「信仰」によって導かれた②「行動」です。具体的にはステップ12の「今苦しんでいるアルコホーリクにこのメッセージを届ける」ということです。
信仰を動機として他の人に働きかける、ということですね。
右端の橙丸は②「行動」の結果としてあらわれた③「有用性」です。12ステップによって霊的に目覚め、その人が得られた①「信仰」は②「行動」を生み出し、そして③「有用性」を生み出すことによって①「信仰」は価値あるものとなる、という図式です。
ここで言う「有用性」とは、AAにおいて特に強調されるのは、もちろん家庭や地域での有用性もありますが、自分や他者(スポンシーなど)の回復ということになるでしょう。ビッグブックを書いたビル.Wの頭の中には、このような図式があったことが下記の引用からもわかります。
日本語訳ではさまざまな訳語があてられていますが、太字強調した「usefulness」は「有用性」ということです。
ビル.Wは12ステップによる結果を記述する箇所で、「usefulness」(有用性)という単語を何度も使っていますね。そしてそれは行動によって媒介される、ということも、上記引用から明らかでしょう。
このように、12ステップを経たことによって霊的に目覚めて、なんらかの①「信仰」を得て、その信仰をもとに②「行動」し、自他の回復という③「有用性」を生み出してゆくというAAの基本戦略があります。
「行動」だけ抜き出すと、道に迷う
上記のような戦略をAAは取ってきましたし、そのようにして世界中で発展してきました。AAの「一体性」を守ることは、この仕組みを最大限にうまく働かせるためでもあります。
注意してほしいのは、このAAの基本戦略は、②「行動」に価値を見出してはいないということです。AAの基本戦略のなかでの価値判断は②「行動」ではなく、③「有用性」によって判断されます。
なので、回復という③「有用性」が得られないときは、逆に注意深くこれまでのやり方を点検して、必要があれば戻る姿勢を打ち出しています。
「行動に移す」というタイトルの第六章の中でさえ、「とにかく行動だ」とは言っていません。むしろ、注意深く、今までのステップワークで「結果(有用性)」が得られているか確かめる姿勢を明確に示しています。
そして、プラグマティズム、およびビッグブックの立場に従うならば、自他の回復という有用性を得られない行動や考え方は「価値がない」のです。それは、捨てていかなければなりません(それが棚卸しでもある)。
私たちが解決(ハイヤーパワー)と触れ合うには、解決と触れ合うのに役に立っていない考え方や行動を捨てなければならないというのが12ステップの姿勢です。
これはアルコホーリクの生死を分けるポイントなので、キツイ内容ですが、再度はっきりと書いておきます。
12ステップにおける「価値(真理)」の判断ポイントは、「行動」ではなく「有用性」なのです。どれだけ行動を積み重ねても、その行動が自他の回復の役に立っていなければ、価値はありません。つまり、12ステップにおいては、行動さえしていればオッケーということはないのです。
「自分に正直になる」とは、自分の考え方や行動が「役に立っていない」という事実に直面していく過程でもあります。
・注意
これはなにも、12ステップで何らかの有用性を生み出していない人のソブラエティすべてに「価値がない」という主張ではありません。
12ステップは、他の人の手助けをして霊的に成長していかないと、ハイヤーパワーとの関係が途絶えてしまい、また飲んでしまうという、もう後がないアル中が最後の手段として手にする道具ですし、AAはそういったアル中の集まりです。
なので、問題飲酒者が12ステップなしで(つまり他のアル中の手助けをしなくても)飲まない生活を続けていられるのなら、その飲まない生活はその人や周囲の人たちにとって大きな価値があるものでしょう。
なんたって、飲まないで生きていくことは個人にとっても、社会にとっても非常に有用なんだから。それはなによりなことです。
この記事ではビッグブックと12ステップの話をしています。
「行動のない信仰は死」をどう解釈するか
さて、上記のように書いていくと「行動のない信仰は死」というビル.Wの引用をどう解釈するのか、という疑問が出てくると思います。
この一文は、ビッグブックの中では2つの箇所で出てきます(AA 2003 : 22 , 126-127)。
こうやって示すとわかりやすいと思うのですが、この二つの箇所は12ステップを経て霊的体験・目覚めを得た後の記述になっていますね。
ビル.Wは21頁で霊的体験をしていますし、126-127頁の記述は12番目のステップの導入になっています。12番目のステップは「私たちはこれらのステップを経た結果、霊的に目覚め……」とある通り、何らかの信仰を得たその後のステップになっています。
もう一度、前の図に戻りましょう。
AAの基本戦略は、霊的体験・目覚めを経て①「信仰」を得た後に、それを②「行動」によって③「有用性」に結びつけていくものでした。
このAAの基本戦略を「行動のない信仰は死」というステップ12の説明での引用に当てはめると理解しやすくなります。
つまり、上記のAAの基本戦略を踏まえれば「行動のない信仰は死」という聖書からの引用は、これまでのステップ(1〜11)を経た結果、霊的体験・目覚めを得てハイヤーパワーにたいする何らかの信仰を持ち、それによりアルコホリズムから救われた人は、自分が得た「解決」を自分一人のものにするのではなく、他のアル中にも働きかけて、有用性を分け与えなきゃいけないよ。そうじゃないと、スピリチュアルな状態を維持できなくなって、また飲んで死ぬことになるよ、という警告となっていると理解できます。
ここに「12ステップの中ではとにかく行動だ」のニュアンスはありませんし、ここで言う「行動」は何でもありではなく、霊的体験・目覚めをいう結果(信仰)を得た後の、ステップ12のことです。
もうすこし突っ込んで考えるために、「行動のない信仰は死」の元ネタである新約聖書のヤコブ書の一文を確認してみましょう。
ここでも、信仰によって救われても、それを一人で抱きしめるのではなく、他の人の役に立つという形で有用性を分かち合っていかないならば、何の価値があるのか、というプラグマティックな姿勢が表明されています。
「信仰と行動と有用性はセットでしょ」ということであって、行動そのものに価値を見出して、行動が独り歩きしているのではありません。
これは同じく新約聖書の中にある、使徒パウロの信仰義認とは、ある意味正反対の立場です。彼の立場は、救済においては人間の行動に一切の価値はなく、ただ信仰のみが人を救うというものです。
パウロの考え方だと、信仰によって救われた者(例:ハイヤーパワーによってアルコホリズムから助け出されたAAメンバー)は、他の人にその解決を分かち合うことをせず、自分の信仰を抱きしめて自己満足に浸ってしまう可能性もあります。
信仰義認論に立つ宗教改革の立役者マルティン・ルターは、著書『キリスト者の自由』で、信者はそのような態度に陥りがちなことを指摘し批判していることからも、どうしてもパウロ的な信仰義認は「もう助かったんだし、他の人のことは考えなくてもいいのではないか?」といった心情を生みがちであることは確かなようです。
確かに「信仰により神に救われる」という考え方は、AAの敬虔主義的なプログラムの中で確かに息づいています。
ですが同時に、「行いを伴わない信仰は死んでいる」というヤコブ書やオックスフォード・グループやジェイムズのプラグマティックな思想が、AAの「他の人を手助けする」という原理となって、AAプログラムの中にあります。
それは自分が助かったことに安住するのではなく、完成よりも成長を求め、他の人を手助けし続けるAAの姿勢を生み出していると言えるでしょう。
・ ・ ・
上記のように整理すると、「行動を伴わない信仰は死んでいる」というビッグブックの言葉は、12ステップを経てなんらかの信仰を得た結果、自分だけ助かることに安住するのではなく、その信仰は他者の手助けをするという行動に結びつき、自他を助けるという有用性につながるべきであると警告しているのであって、なんでもいいから「とにかく行動が大事なんだ」と行動に価値を見出しているのではないことは、明らかでしょう。
それは「行いを伴わない信仰は死んでいる(Fatih without works is dead.)のworks(行動)という英単語には、「証し」の意味があることでも理解できます。
「証し」についてのキリスト教からの簡潔な説明は、以下リンクを参照してください。
「現在地」と「目的地」を見失わないように
さて、同じことを何度も繰り返して、つらつら書いてきましたが、ステップワークにおいて重要なことを確認します。
ここからは「解決=有用性(価値)=目的地」という図式で、記述を進めていきます。
「とにかく行動が価値を生み出すんだ」とする解釈は、大きな取り違えをする危険性があります。それは「行動」という人間の力・努力がAAの「解決」をもたらす、と勘違いしてしまうことです。
12ステップにおいて、ステップ1,2では自分を含めた人間の力ではなく、自分を超えた偉大な力(=ハイヤーパワー)の力が「解決」なのだ、という情報を私たちは得ます。心の家路さんから図を引用させてもらいながら説明すると、それが「現在地と目的地」になるものです。
しかし、「行動が解決をもたらす」とするならば、それは人間の努力による解決を目指すものとなります。そのようなことはビッグブックは主張していません。だって、そもそもステップ1で、アルコホリズムと言う問題は行動や努力といった人間の力では解決できないことを認めたはずですよね。
ステップ3〜12の行動は、目的地である「解決」にたどり着くための「手段」・「道具」です(「霊的道具一式」という言葉の通りですね)。なので、行動は目的地に到着するのに必要な手段ではありますが、目的地そのものにはなり得ません。
それは、どれだけ行動を積み重ねても肝心の「目的地」に到着できていなければ、その行動には意味がないことからも理解できるでしょう。
有用性(解決)が得られないときは、今の行動と考え方を捨てて、プログラムを引き返すべきです。12ステップの価値判断において大切なのは、目的地に到着するという結果(有用性)であって、行動そのものに価値があるのではないのだから。
そして、その目的地である「解決」は、ビル.Wが主張しているように、人間の側の行動や努力を遥かに超えたものなのです(AA 2003 : 267) (AA 2001 : 141)。
・ ・ ・
さてさて、ここまで明言してこなかった、肝心要のビッグブックが描く「解決」はどのような内容なのかという問いは、今後の『諸相』スタディで深めていきますので、よろしくおねがいします(宣伝)。
まとめ
今回のまとめです。
12ステップはプラグマティズムを下敷きにして組み立てられている。
プラグマティズムにおいては、考え方(動機)・行動・結果(有用性)は切り離せないものである。
プラグマティズムの価値判断は、行動ではなく結果の「有用性」にもとづいて判断される。
ビッグブックは「とにかく行動が大事」と主張してはいない。行動そのものに価値があるのではない。
「行動」は、AAの「解決」にはなれない。
・補足
注意したいのは、ビッグブックが主張していないからと言って、人間の努力の積み重ねによって解決を得るやり方が価値のないものにあるわけではありません。そのやり方が、人に何らかの有用性をもたらしているなら、それは価値あるものでしょう。
「ビッグブックに書いてないことは、価値がない」というのは、ただの暴論です。それぞれが自分に合ったやり方で回復していけばいいのです。AAは回復を独占していません。
しかし、行動という人の努力の積み重ねで解決を引き出すやり方は「ビッグブックのやり方」ではないということは踏まえておくと、もしそのやり方がうまく行かなくなった時に、ビッグブックのやり方を含めた別のやり方にシフトできるので、大切なことです。
もちろんその時には、自分の努力で道を開こうとする考えを捨てなければならないのですが。
参考文献
AA (2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』 AA日本出版局訳, JSO
—— (2001) 『12のステップと12の伝統』 AA日本出版局 訳, JSO
ケリー・ファウンデーション(2013) 『12ステップ・ガイドブック』 一般社団法人セレニティ・プログラム
ジェイムズ, ウィリアム(1953) 『プラグマティズム』 桝田啓三郎 訳, 岩波文庫
ジョー・McQ (2008)『回復の「ステップ」』 依存症からの回復研究会
日本聖書協会(2018) 『聖書 聖書協会共同訳』 日本聖書協会
リンク
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