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スタディ通信 24年4月号

花粉がすごいですね。スタディ・ミーティング中も鼻がずっと痒くて、途中で抗アレルギー薬を飲みました。
日が長くなってくるのは気分が良いですが、花粉はなぁ。



スタディのふりかえり

昨夜は超自然主義と自然主義をテーマにミーティングを進めました。

ビッグブックを読めばわかりますが、AAは明確に超自然主義の立場を採っています。
人間の力を越えた偉大な力が、絶望的なアルコホーリクたちを回復させたのである。それは「神の介入」という「奇蹟」なのだ、とAAは主張します。

しかし、同時にAAは科学と宗教の間の豊かな緩衝地帯に成立している集団でもあります。ビル.Wはカール・ユングに宛てた書簡でこう述べています。

前の手紙では、先生が私たちAAの成長期において別の偉大な寄与をしてくださったことをお伝えしました。あなたの言葉には本当の説得力があります。それは、あなたがまったくの神学者でもなく、純粋な科学者でもないからだと思われます。あなたはこの二つ[神学と科学]の間にある緩衝地帯に立って、私たちと一緒にいてくださるように思います。それは、私たちの多くが自分自身を見出した場所でもあります。

ビル.W(1961)「ビル・Wとカール・ユング医師との往復書簡」 心の家路


このように、神学(超自然主義)と科学(自然主義)の中間地点に立つAAは、絶対性を持って超自然主義を主張することをしません。
それはビル.Wの次のような姿勢に明確に現れています。

Q9:医学と宗教で、アルコホーリクへの関わり方がどう違うのか?

A9:この二つは、ある一つの点で異なっています。医師は、アルコホーリクに対し、内在する困難点を指摘した上で、それを再調整するプログラムを指示します。そして彼はこう言うでしょう。「さあ、回復するには何をしなければならないか理解しましたね。これからはもう私を頼らないで。自分を頼りにしていくしかありません。あなたが自分でやるんです」と。

明らかに、この医師の目標は、患者を自立させ、100パーセントではないにせよ、おおむね自分自身を頼りにするようにすることです。

だが、宗教はこうした試みはしません。自分を信じるだけでは十分でないと、ノン・アルコホーリクに対してさえ言います。聖職者は、私たちはハイヤー・パワー――神を見つけて、それを頼らなくてはならないと言います。祈るようにと助言し、私たちのすべてを司っている神に揺るぎない信頼を寄せるようにと率直に勧めます。それによってのみ、私たちは自分の力を越えた力を見いだすことができるのです。

ですから、主な違いはこう考えれば納得いくはずです。医師はこう言います。自分自身を知り、強くあれと。そうすれば人生に直面することができる。宗教はこう言います。汝を知れ。神の力を求めよ。そうすれば真の自由が得られると。

アルコホーリクス・アノニマスに来た新しい人は、どちらの方法も選ぶことができます。その人が12のステップから「霊的な観点」を取り除いたとしても、回復するためには、正直、寛容、さらに他の人と一緒に取り組むことを、全面的に信頼しなければなりません。ですが、実に興味深いことは、このシンプルなアプローチに開かれた心で取り組んだ人には常に信仰がもたらされるということです。そして、その間もその人は飲まずにいます。

とはいうものの、もし12ステップの霊的な内容を積極的に否定してしまうと、そうした人たちがしらふを続ける事はほとんどできません。それが私たちAAの経験です。私たちが霊性を強調するのは、ともかく私たちはそれなしでは回復できないことを経験から知ったからなのです。(ニューヨーク州医学会誌第44巻、1944年8月15日)。

ビル.W(1944)「ビル・Wに問う (9) 医学・宗教・AA」心の家路


医学(自然主義)は自分の力で自分の問題を解決し、自律するように言います。宗教(超自然主義)は自分を超えた力に頼り、その力に問題を解決してもらうように言います。そしてAAは「最初はどちらの方法でもいい」と言います。
12ステップから霊的な観点を取り除き、自然主義的解釈を行ってもよいのです。

そして、その人がAAを作っていくならば(ステップ12)、その人は自然と信仰を得て超自然主義を受け容れていくだろう。そんなおおらかな姿勢がAAの姿勢です。

そしてその姿勢は、ジェイムズに由来するものであることを指摘しました。
ジェイムズはこういいます。

宗教的生活についてなお私が論じ残している最後の点は、宗教生活のあらわれと私たちの存在の潜在意識的な部分とが関連している場合が非常に多いという事実である。私が最初の講義で、宗教的な伝記を見ると、精神病的な気質が優勢であることを語ったことを、諸君は記憶しておられるであろう。事実、どんな種類の宗教的指導者にせよ、その生涯に自動現象的行為の記録のないような人はほとんど見いだせないであろう。……ベルナールや、ロヨラや、ルターや、フォックスや、ウェスリイなどのごとき偉人たちも含めて、キリスト教の聖者たちや邪教の開祖たちの全てが、それぞれ幻を見、声をきき、恍惚の状態におちいり、霊感をうけ、「啓示」にふれたのである。彼らがこういうことを経験したのは、彼らが強い感受性を持っていたからであり、強い感受性をもつ人は、そういう体験をし易いからである。しかし、そういう素質にこそ、神学にとって重大な意義があるのである。信仰は、自動現象に補強されて、強められるのである。

ジェイムズ(1970) : 327-328

下記の図はジェイムズの主張を簡略化したものです。
青い円は私たちの意識、つまり自己をあらわしています。その外にグレーの領域が広がっていますが、これが「潜在意識」とします。
その潜在意識の領域から何かが侵略してきて、人格の中心点に宗教的概念が置かれる、これがジェイムズの回心(Conversion)の基本形となっています。

さて、ではこの回心を何がひき起こすのか。この問いが重要です。
人間の潜在意識が回心をひき起こすのなら、回心は自然主義の領域で説明可能な現象となります。
しかし、回心は潜在意識を通って起こり、その源は人間を超えているものであるなら超自然主義の立場となります。

心理学者としてのジェイムズは、はたしてどちらを採るのか。林研氏の指摘を引用して確認しましょう。

回心や祈りによる交流の対象は自己の外部に「神的なもの」として想定されていたことを前節で確認したが、これは実際の経験においては「高い支配力」として認識されるものである。そして『諸相』の結論部で、ジェイムズはこれを、さらに抽象化した「より以上のもの(the “more”)」という表現で示すことになる。
意識の場のモデルから見るとき、ジェイムズは、「私たちが宗教的経験において結ばれていると感じるその〈より以上のもの〉は、向こう側では何であろうと、そのこちら側では、私たちの意識的生活の潜在意識的な連続である」[VRE 457-458]と言う。すなわち、「より以上のもの」はわれわれの潜在意識的自己の「向こう側」に存在し、「こちら側」の自己と連続している。その連続性のうちでの両者の交流が宗教的経験だというわけである。
したがって、回心における「自己の明け渡し」や祈りにおける自己の開放は、意識の場から潜在意識に通じる扉を開き、「より以上のもの」に由来する「人格的エネルギーの新しい核心」が流れ込むにまかせることだと理解される。
この「より以上のもの」がもたらす力は、潜在意識を経由してくるのか、潜在意識から発生するのかが明言されていない。言い換えれば、「向こう側」が潜在意識領域の外なのかどうかの判断が保留されているわけである。このスタンスは、超自然的な解釈と自然主義的な解釈のどちらをも可能にする。ジェイムズ自身、「より以上のもの」を「より高い宇宙の霊」あるいは「理想的なもの」などと超自然的存在のように表現すると同時に、一方でそれを「私たち自身の持つ、より高い能力」[VRE 458]と自然的に記述する場面もある。

林(2021) : 52-53

林氏の指摘で理解できるように、ジェイムズは回心の源を明言しません。
この姿勢は多元主義とプラグマティズム、そして可謬主義に立つジェイムズならではと言えるでしょう。
つまり、回心の源をジェイムズは重要視しないのです。その回心や祈りという「交流現象」が本物ならば、「聖徳」の講で論じられた有用性をその人は現実に発揮するはずである。そのような論証をジェイムズは採ります。

これはAAも採用している立場です。
アルコホリズムという病の原因をAAは探求しません。また、AAの解決である「霊的体験・目覚め」をひき起こす力を、AAは特定しません。それはそれぞれが見つけ出し、成長させていくものであるという立場をとります。
ここには前述のビル.Wの立場、つまり超自然主義と自然主義の両方を許容する態度が現れているといえるでしょう。

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さて、そのようにAAは超自然主義と自然主義の両方を許容すると確認しました。
これはカーツがNot-Gotで描いたAAの姿でもあります。AAは人間主義的リベラル(ミーティング・メイカー)と敬虔主義的宗教右派(ステップ・テイカー)の両方をジェイムズの思想を受容れることで受容してきました。(カーツ 2020 : 291−292)

AAの一体性とは、同質なAAメンバーを大量生産することではなく、全く違った世界観のAAメンバーが多元主義と可謬主義、そしてなによりプラグマティズムにおいて協働するものです。
ここの理解が日本のAAではまったくと言っていいほどできていなかったので、現在の日本のAAは明らかな衰退と崩壊の局面に入っています。

今後、日本のAAが再興されるなら、今までの同質性を重視する組織作りではなく、多元主義に基づく本来のAAの姿に土台を据える必要があるでしょう。

そんなことも考えながらのミーティングでした。なかなか重いテーマを扱いましたね。
次回からはついに「結論」に入ります。これまで外部からAAに持ち込まれた相対主義の本格的批判を始めますので、よろしくお付き合いください。

参考文献

カーツ, アーネスト(2020)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』葛西賢太・岡崎直人・菅仁美 訳, 明石書店
ジェイムズ, ウィリアム (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』桝田啓三郎訳, 岩波文庫
林研 (2021) 『救済のプラグマティズム』 春秋社


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