スタディ通信 23年9月号
暦では秋ということですが、まだまだ暑い日々が続いていますね。
しかし、朝夕は少し涼しくなりました。みなさん、いかがお過ごしですか。
スタディのふりかえり
スタディもついに「神秘主義」の講が終わりました。やっとこさ、というのが実感です。
昨年6月から『諸相』スタディは内容を新たに『諸相』の冒頭からスタディを始めたのですが、やはり月一ペースではここまでで1年3ヶ月かかりますね。
やりながらシラバスを作っていますので、全体像の把握もまだできていません。それでも何とか続けられているのは、ありがたいことです。
スタディ・ミーティングは「言いっぱし・聞きっぱなし」ミーティングとは違って、準備が命です。
「言いっぱし・聞きっぱなし」ミーティングの場合は重要なのはミーティングを開催すること(会場を開けること)ですが、スタディの場合は会場を開けたところで何の準備もしていなかったら成立しません。ここが辛いところです。
やってみるとわかるのですが、慣れるまでは準備はとてもしんどいもんです。当日の反応も分かりませんし、準備した資料が「正解」なのかも分かりません。そんなプレッシャーがあるのですが、まぁこれも慣れです。
今では「何とかなるだろ、どうでもええわ」と8割開き直っています。この開き直りが良い効果を生むようで、どうも肩の力が抜けて雰囲気が良くなったようです。最初2年はひどかった。
運営側がミーティングという場をコントロールすることに過剰に労力を注ぐと、硬直して緊張したミーティング空間になってしまいます。しかし、なんのコントロールもしないと「何でもあり」になってしまい、AAミーティングとは言えない空間になります。それはただの無責任でしょう。
ここら辺の感覚を身につけていくこともグループの成長ですね。失敗と振り返りと改善の繰り返しです。
・ ・ ・
さて、9月のスタディではこのような文章を引用しました。斎藤学氏によるアル中批評です。
これは私たちAAメンバーの姿でもあります。たとえ飲まなくなっても、私たちは今でもこんな感じじゃないですか。違う?へぇ(笑)。
このような私たちが飲まずに生きるためには、齋藤先生の言う「自己愛エネルギー」をどこかに求めなければならないでしょう。
AAでは「飲まなくなったアル中は共依存になる」と言いますが、それはアルコールに求めていた自己愛エネルギーを今度は他者から得ようとする私たちの姿を言い表しているのでしょう。しかし、それを続けていくならば、飲まないで生きていくことができないことは、多くのAAメンバーの死が実証しています。
私たちの中心にぽっかりとあいた穴のような虚しさに酒を突っ込むのか、人を突っ込むのか、趣味を、筋トレを、セックスを、まぁ何でも突っ込むことができます。
しかし、AAの言う「本物のアルコホーリク」とは、何をそこに突っ込んでも満足できなかった惨めな人々のことでもあります。では、どうするのか。
AAの発想は意志力を鍛えて耐えることや、ストア派的な諦観を身につけることではありません。そこをハイヤーパワーに満たしてもらう、という戦略をAAはとっています。
ジェイムズはこう言います。
このような神秘主義の本質は12ステップの中にも継承されています。それはステップ11に示されているものです。
神の息吹( the flow of His spirit )と触れ合う、つまり神と触れ合う経験がそこには含まれているということですね。
この感覚が全く欠如しているならば、それはビッグブックが描く霊的体験・目覚めとは言えないでしょう。
神秘主義の伝統はAAの中にも確かに流れています。AAは多様で豊かな源泉を持っているのです。
・ ・ ・
そんな話をして「神秘主義」の講を終わりました。
次は「哲学」になるのですが、果たしてどうなることやら。まだ資料を作ってないのでわからないのですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
ちなみに、現在シラバスを作成しながらスタディを続けるという自転車操業をしています。しかし今回のターンが終わればシラバスと基礎資料ができますので、もう少し歴史や思想史に踏み込んで『諸相』スタディの内容を展開できる見込みです。
それは来年以降になるかなぁ、と思っています。いろいろと資料は買い込んだのですが、まだまだ基礎づくりに手がいっぱいで消化できていないので。
参考文献
AA (2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』 AA日本出版局訳, JSO
斎藤学 (1985)『アルコール依存症の精神病理』 金剛出版
ジェイムズ, ウィリアム (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』桝田啓三郎訳, 岩波文庫
リンク
これまでのスタディ通信の一覧はこちら。
『諸相』スタディのシラバスやスケジュールなどは、下記公式サイトから。