スタディ通信 22年10月号
ここんとこ心身ともに調子が悪かったのですが、なんとか昨夜の『諸相』スタディが終わってほっとしています。
やはり季節の変わり目はあかんですね。
スタディのふりかえり
さて、今月もスタディ通信はそんな気合の入ったものを書くのではなく、散文形式の気楽なものを書こうと思います。
昨夜はこんなジェイムズの言葉を取り上げました。
これは、信仰において神を信仰者が感じるとき、それは知識や理論で理解するのではなく、直接に感じる・知覚するものがその土台としてある、ということを意味しています。
AAのスピリチュアルな信仰にしても同じで、ビッグブックはこう主張していました。
ここでビッグブックは端的に「理性で信仰にたどり着くことはできない」と主張します。それはジェイムズと同じ姿勢であり、AAの信仰の基礎はハイヤーパワーを「経験する」ものであることが理解できますね。
AAはビル.Wがそうだったように、理性的に考えることを大切にします。
しかし同時に、ハイヤーパワーは自分の理性を超えているのだという「敬虔さの感覚」をAAは核に持っていると感じています。
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なので、僕自身は僕自身が経験した・もしくは今現在経験しているハイヤーパワーの弁証をしないようにしています。
「私のハイヤーパワーは○○な存在である」と言っても、それは各AAメンバーがそれぞれ自分で経験することであって、必ずしも僕の神の経験が役に立つものではないように感じます。
そして、理性的な、言語を使った神の弁証には明らかな限界があることを感じるのです。
そんなこんなを踏まえて、僕は下記のジョーの言葉が大好きです。
ハイヤーパワーが自分にしてくれたこと(効果)はビギナーのために分かち合うが、神の内容・概念について話すことは、控えめな態度を取るという姿勢を、僕はプラグマティズムから学びました。
この姿勢はシンプルでおおらかで、そして役に立つので気に入っています。
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昨夜のスタディの資料を作るにあたって、ヨブ記をぱらぱらと読み返してみました。そこで、神を前にしたヨブのこんな言葉が目にとまりました。
ハイヤーパワーを体験するとき、人は自分の小ささを思い知って、これまでの古い自分を捨て去るのかもしれませんね。そういえば、そんなことはビッグブックにもありました。
さて、では理性の橋から足を踏み出し、対岸に渡るためには、私達はなにをしなければならないのでしょうか。
そんなことを、「回心」という現象をあつかう11月からのスタディで学んでいこうと思います。
参考文献
AA (2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』 AA日本出版局訳, JSO
ジェイムズ, ウィリアム (1969) 『宗教的経験の諸相 (上)』桝田啓三郎訳, 岩波文庫
関根正雄 訳 (1971)『旧約聖書 ヨブ記』 岩波文庫
ジョー・McQ (2007)『ビッグブックのスポンサーシップ』依存症からの回復研究会 訳・出版
リンク
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『諸相』スタディのシラバスやスケジュールなどは、下記公式サイトから。