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スタディ通信 24年8月号

なんか、また最初のホームグループの恩人が帰天されました。
なんというか、むなしいものです。私にメッセージを運んでくれた人は、どんどんいなくなっていきます。また会う日まで。



ふりかえり

『諸相』スタディも結論まで終わりました。
『宗教的経験の諸相』というテキストをある程度構造化して、12ステップとの関連を示すのに4年かかりました。さて、良い機会なので、私の12ステップとの出会いを振り返ってみましょう。

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私は2019年9月、まずNAミーティングに出席しました。
それまで、数度目の失業後に数ヶ月家で連続飲酒をしており、そろそろ耐えきれなくなったので自殺して楽をしようと思ったのですが、かつて声をかけられていたダルクに最後の機会だと思い電話をしたのです。
学生の頃から飲酒に問題のあった私は福祉関係で回復施設を知っており、ミーティングに誘われていたのです。しかし、20代前半の私は「気持ち悪いから嫌だ」と拒否していたのでした。

まぁ、そんな拒否感も気にならないくらい落ち込んでいたので、おとなしく生まれて初めてのNAミーティングに出席しました。彦根市のカトリック教会の物置の会場を今も懐かしく思いだせます。物置でしたので、煙草を吸いながらミーティングができたことが当時の私にはありがたかったな。

そこで私を出迎えてくれたのは、今は閉鎖された東近江ダルクにいたNAメンバーたちでした。まぁ、知ってる人は知ってるかもですが、なかなかパンチの効いた連中でしたね。
そんな彼らとのミーティングは、孤独な連続飲酒で疲れていた私には楽しかった。また行ってみよう、あいつらもがんばってるのだから、私もがんばってみよう。最初のミーティングから帰ってワインを飲みながらそんなことを思い、飲んでいたボトルを台所に流して捨てた。それが現在の私の最後の飲酒になっています。

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そこから週1で彦根市のNAミーティングに通う生活が始まりました。失業して何もすることがなかったので、とても楽しみでした。東近江ダルクにも何度も遊びに行き、一緒にご飯を作って食べたり、太鼓の練習に混ぜてもらったりして、楽しい時間を過ごしました。玄関で飼われていたカブトムシに子どもができた話など、懐かしく思い出せます。

9月になるとそのNAミーティングのアル中が独立してAA東近江ingグループを立ち上げミーティングを開くというので、私もそちらに出席するようになりました。週1NA、週1AAの生活をしばらくしていました。
しかし、楽しかったミーティングも3ヶ月もすると飽きが出ます。最初の一体感は薄れはじめ、「毎回毎回自分語りをして、これで回復するのだろうか」そんな思いと焦りも生まれてきました。しかも、精神的にも肉体的にもどんどんしんどくなっていきました。よくある通常コースですね。

そこで、伝え聞いていた「スポンサーシップ」というやつを誰かにスポンサーになってもらいやってみよう。「12ステップ」とやらをやってみよう、そうじゃないと回復できず死ぬ気がする、そんな思いになりました。
しかし困ったことに、NAもAAのホームも誰もスポンサーができる人がいません。12ステップをやったことのある人もほとんどいなかった。ビッグブック?なにそれ、おいしいの?

そんなこんなで困りに困って、他のAAグループでなんとかスポンサーを見つけたのが20年1月。NAにたどり着いてから4ヶ月後でした。
そしてコロナ禍が始まり、NAのホームは消滅。私はAA一本になり、東近江ingグループから近場のAAグループに移ることになったりで、東近江のメンバーたちとも疎遠になっていきました。
そしてコロナ禍の中、最初私を支えてくれた東近江ダルクは閉鎖となり、AA東近江ingグループも消滅しました。

しかし私の回復はNAから、東近江から始まったので、いつか彼らに恩返しをしたいという思いは持ちつづけていました。今の私なら、以前よりもビッグブックの12ステップを教えることもできます。また、かつての彼らの12ステップへの疑問に答える準備もできています。
しかし、まぁ、なんつーか、私の人生の常なのですが、肝心なときにチャンスを失います。最もAAの回復のメッセージを運びたかった人たちは遠くに去っていきました。
ある人は別の施設へ、ある人はどこか遠くへ、ある人はもっと遠くへ。

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最近、神は私に何を求めておられるのかをよく考えます。
最初の仲間はいなくなり、また私がミーティングに出会った当初とは全く違う環境に今の私はいます。多くの人が去った中、私はAAに残っています。
ここに神の意志があるのならば、一体私はどのような仕事をすべきなのか?

現在の結論は「考えても分からない」ということです。
考えてもわからないならば、AAメンバーとしての私の仕事は現場で今の自分ができることを続けていくことでしょう。
それは『諸相』スタディという営みを続けていくことですし、AAスポンサーを育てるという営みを続けていくことでしょう。
しかし、夢見ていることはあります。かつての、私の最初のホームグループのように「スポンサーがいない、12ステップがさっぱりわからない」という環境に、一人でも多くのAAの回復の原理を運べるスポンサーがいるようになること。そうなれば、かつて私を助けてくれた彼らに対する恩返しにもなるでしょう。小さすぎる恩返しではありますが。

AA共同創始者のビル.Wは天性の夢想家で、楽観家でした。
私は悲観的なタイプですが、少しはビルに倣いたいと願っています。いなくなったかつての仲間が必要としていた、AAの原理を運べる人を一人でも多く育て、かつての仲間たちと同じように今もAAの外で苦しむアルコホーリクの元に、「解決」を携えたAAスポンサーが向かうことを信じて。

God be with you till we meet again.


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