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スタディ通信 23年5月号

最近は資料づくりもスタディ本番も、以前ほどしんどくなくなってきました。慣れってやつなんでしょうね。
しかし慣れるのに2年以上かかるのは、やっぱ不器用なんでしょうね。



スタディのふりかえり

さて、先週は『諸相』の「聖徳の価値」をやりました。ここは回心の結果である「聖徳(saintliness)」、聖者性とも言える性質の価値判断をするセクションです。

出席してくれた方はわかったと思うのですが、ウィリアム・ジェイムズは鬼です。宗教性の独りよがりな部分をバッサリと切り捨てていきましたね。
あの箇所は、「これやると次回の参加者減るだろうなぁ」とも思いましたが、まぁそれもいいかと思いっきり引用しました。ああいった冷徹な常識的判断は、AAにとって大事ですね。それがないとカルト化してしまうので。

林研先生の『救済のプラグマティズム』も引用できてよかったです。聖徳の価値を考える上ではジェイムズの神概念がより明確になるので、林先生の指摘は重要です。

プラグマティズムは一般に、ある観念の意味や真理性をそれに基づく行為の有用性から定める考え方と解されている。これは間違いではないが、ジェイムズのプラグマティズムはその「行為」を人間の選択意志から生まれるものと考えるため、むしろ人間が主体的に価値を、そして真理をも作り出していくという点に強調点が置かれる。したがって、何らかの宗教を信じるという選択についても、より善い結果を生み出すことによってその宗教的命題を真理にしていく、という発想が含まれる。
このようなプラグマティズムは人間の行為から独立した神を否定し、「有限の神」という見解を要請する。多元論は神が唯一であることを否定するが、ここではその絶対性が否定されることになる。そもそも神的なものを潜在意識に連接した「より以上のもの」だとする理解は、キリスト教的伝統とは異なり、神と人との間に質的な断絶を見ないということでもある。そこでは神ははるか天空に住まう存在ではなく、われわれの日常の中で個人個人とともに働くものとして把握されるのである。

(林 2021 : 65-66)

このような神概念は、ビッグブックの神概念でもあります。
セッション中でも話しましたが、おそらくAAはオックスフォード・グループから離脱する過程で、オックスフォード・グループの神概念とは訣別する必要があったのでしょう。
その過程で便利な道具としての役割を果たしたのが、『諸相』に描かれる神概念だったのであろうと私は理解しています。

ここら辺を外してAAの神概念の議論をされても「なにトンチンカンなこと言ってんだろう。。。」となってしまいます。

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さて、最近は読書会を運営するのに忙しくしています。
現在、『諸相』スタディでは24年に誰でも参加できる読書会を開催する計画を進めています。
しかし、それは私一人でできるわけがないので、今のうちに読書会の運営ノウハウや進行のコツをグループメンバーの方々に身につけてもらうために、月6回の読書会という頭のおかしいスケジュールでファシリテーター4名の養成を進めています。
早く終わりたい。来年こそはもっと楽する。。。

まぁこういったテキストの読解力を深めたり、過去の歴史の経験に学んだりする営みを、どうやら日本のAAはサボり続けて40年経ったようなのでここらでやっとかなきゃいかんのでしょう。
しかし、サボりのツケはでかいと感じますが。

とりあえず来年には、一つの成果を公開できるような気もしていますので、期待してもらえると嬉しいです。

そんなこんなで相変わらずパタパタと日々を過ごしております。またスタディでお会いしましょう。

参考文献

林研(2021) 『救済のプラグマティズム』 春秋社


リンク

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