一通の手紙を、色とりどりのポストへ
いつからか、人は言葉を手にする。
それは時に人を喜ばせ、時に人を悲しませる。発した言葉がたとえ1秒にも満たなかったとしても、簡単に人の感情を動かしてしまう。
言葉は思いを伝える手っ取り早い手段だが、使用方法を間違えれば凶器と化する。恐ろしいものだ。
だから私は、口を開くのが苦手だった。
これは私の人生の半分以上を邪魔してくる、非常に厄介な悩みだ。話せば長くなるので、おいおいまた書こうと思う。
今の私を良くも悪くも形作る、小中学生時代の話、とだけ伝えておこう。
真っ新な本は何百ページと続く。
しかしその中の表紙をめくったたった一ページ。それ以降は強力接着剤でくっつけられていて、プロローグしか読めなかったとしたら、普通の本より興味を抱かないか。
そんな風に思っていてくれたら嬉しい。
そんな私が何故今回noteを始めたのか。
冒頭でも話した通り、私は話すのが苦手だ。そう、つまりだからだ。
話すという行為は、頭をフル回転させ、自分の主張を見出し、言葉で具現化し、それにふさわしい声のトーンで伝える。ここまでが一連の流れ。
それに加え、ハッピーセットに、周囲からの反応が含まれる。ここだ、主に私の苦手とするポイントは。
自分が発したことにより、周りが傷ついたり、つまらなそうにそっぽ向いたり…。
さらに酷ければ長年培ってきた関係性に、話すという刹那の起源だけで亀裂が入ってしまう。
後悔は、必ず後からやってくる。秒単位で取捨選択されたワードだけでは、どうも上手く表現しきれないものだ。未完成のままの作品を展示したところで、一体誰が食いつくだろうか。
だからこそ、言葉を並べるのだ。
複数ある候補の中から一番適した単語を選び、点と点を線で結ぶ点つなぎのように、それらを繋げていく。
本当に伝えたい、ホンモノの言葉が出来上がっていく。
そのレールの上に電車を走らせ、届ける。
また、時に寄り道して、好きな単語同士を組み合わせたオリジナル言葉を作るのも良い。それが後に、流行語となったりもする。
そうやって言葉遊びをしながら、美しさを感じていく。
自分の思いをありのままに、自分を表現するために、noteを始めた。
これまで生きてきた中で、心に秘めていたものを、誰かに魅せたい。眠ったままじゃ、ただの持ち腐れになってしまう。
私は生きているうちに、魅せたい自分が沢山ある。
ちょっと宣伝しておくと、3月よりYouTubeも始めた。
https://www.youtube.com/channel/UCLosIAdfXo3zbC29tWIoEgw
ここでは勿論、話しているが、編集までがYouTubeの醍醐味だと思っている。
やはり私は話自体は得意でないため、選ばれし言葉たちのテロップを入れる。すると、その相乗効果による動画が完成する。
YouTubeと私は、人生において結構深い関わりがある。次回のnoteはそれで決まりかな。
さて、
初見でここまで読んでくださった方はいらっしゃらないかもしれないが、最後に私から。
私はこういったSNSなどを通して、自分を表現していきたい。それは各々様々だ。
共感を得たいわけでも、同情してほしいわけでもない。ただ、今まで届かなかった本当の自分という存在を見てほしい。聞いてほしい。
こう書くとただの一般人の自己満足のように思えるが、それでも構わない。
そしてあわよくば、自分の届けたものが誰かの支えになれば、と強く思っている。
YouTubeではアマチュアだし、noteも一回につきおそらく三つは文法や言葉を間違えているだろう。それくらい、私は普通の人間だ。
それでも届けたいものが明確にあり、魅せたい自分がここにいる。
このnoteを読んで下さった方に、少しでも♪Shima♪が伝わりますように。