『無駄』を楽しむ
『無駄なことを』と子どもに対して何度も思ったこと。
お子さんを持っている方だと幾度となく思うことかもしれません。
たとえば、夏祭りなどで勢い任せに100均で売ってるようなよくわかんないおもちゃを結構な金額で買ったり、どうせ飽きるのにと思いつつ無駄使いしてとか・・・
そんな行動をよくよく考えてみたら心理学的要素や時代のギャップに関する気づきがあったのでご紹介します。
ガチャガチャにはまる子供の行動
以前、くら寿司で鬼滅の刃のキャンペーンをやっていたときに週イチのペースで鬼滅のクリアファイルを貰いに行くルーティーンができあがっていました。
入り口にある鬼滅のガチャガチャに子どもたち(娘・息子)は反応し、行く度にお小遣いの中から300円を入れて回していました。
当然のことながら、何度もやっているうちに同じものがでてきました。
友達と交換するなどしていたものの、大多数は机に飾っていいました。
日が経つにつれて飾っていた「善逸」の1人がいなくなったりしていましたが、彼ら彼女らにとってはあまり重大なことではないらしく、「あっ、ほんとだー、どこだろう?」と。
そんなお小遣いがあるわけでないのに、行くたびにガチャガチャを回す子どもたちに「なんて無駄なこと、まだお菓子買った方が満足度高いんじゃないか」と私は不思議だなと持っていました。
とかく私はというと、子どもの頃にみんながビックリマンシールを集めてたのに乗っかる『なんとなく集めてた少年』でした。
友達が持っていたスーパーゼウスやヘッドロココが絶対ほしいとかはなく、単になんとなく集めていた少年が今も続いている人である。というのもこの疑問が湧いた一因かもしれません。
意味がないようで意味がある?
そんな私から見れば意味のない行為について少し深ぼってみようと思います。
まずはガチャガチャですが、あのアナログな回す感じとガチャガチャといっている音がなんとも言えないなって思うんですよね。
そして何がでてくるかわからないワクワク感がありますね。
そして、ガチャガチャの中身は何でもいいわけでなくキャラクターものが一般的です。
これは当たり前ですが特定のキャラが好きだからだからなのですが、その裏にある軸のストーリーに共感があるからが一番なんだなと思いました。
ストーリーに共感があるからよりキャラに深みがでて、ストーリーの周辺に色々なキャラがいればいるほど色々な人を惹きつけられるんじゃないかと(AKBの誰推しみたいなことと一緒の構造ぽい気がする)
一方で、収集という軸で心理学的にどうなのかなってちょっと調べてみました。
心理学的に収集には4つのパターンがあるあるみたいです。
・狩猟本能:1体集める→3体集める→全種類集める
・強迫的な心理:炭治郎と善逸がいるのに伊之助だけいない
・孤独感・劣等感解消:孤独感を解消するために集める→一定期間満足後また寂しくなる →集める
・競争心理:あの人には負けたくない、私は全て集めたぞ
結局、うちの子は狩猟本能に当てはまるようですが、キャンペーンが終わって行くことがなくなると興味がなくなったみたいです。
子どもたちは何のキャラがでてくるのかのドキドキ感と出てきたときの姉弟の会話が1回300円の価値があったということなんだと思います。
親としてもキャッキャと興奮する笑顔を見られると整理すると安いのかもしれません。。
ですが、事実だけを見るとやはり意味ないことに思えてきてしまいます。
そこでふと最近色々なものを買わなくなってきたなと思ったのです。
昔は買っていたCD。今は・・・
その昔、音楽を聞くにはCDを購入したり、レンタルショップで借りてMDに落とし、雨が降ろうが期日までに返しに行っていたということを思い出します。
音楽を聞くまでに相当な時間と労力が必要でした。
長女などは、YouTubeで好きな音楽や動画をいつでも好きなときにすぐできる環境にあるのは羨ましく思います。
それもこれもスマホの出現と通信環境が良くなったことによってオンデマンドですぐ受けられる環境になったことが一番だと思います。
音楽配信でもSpotifyやAmazon Music、LINE MUSICなど10以上のサービスがあってどれにすればいいのかを迷うぐらいあります。
今の環境になって気づいた変化
CDから音楽配信に移行して、何を得て、何を失って、人ってどう変化したのかが気になってきたので私なりに整理してました。
「CD=フィジカルの世界」「音楽配信=デジタルの世界」に分けられると思います。
"フィジカルの世界”はモノの所有で知っている世界しか存在しないということだと思います。
モノ=思い出が強く結びつくのだろうと思います。
そして、知っている音楽しかなかなか出会えないことです。
サンプルで聴けるものも一部ありましたが大多数はジャケットがカッコいいけどどんな音楽かわからないということでした。
音楽自体にも思い出などがあると思います。
初めて買ったCDやジャケットの表紙を観ると思い出すことや、CDをかけながら歌詞を見て口ずさんだ思い出など、音楽を聴かずともそこにある思い出が最大の特徴です。
”デジタルの世界”はその瞬間の欲求を満たすものかなと思います。
「あの曲聴きたい」「あの曲知ってる?」のようなオンデマンドの利用。
レコメンドで「こんな曲知らなかった、いい曲だね」という自分の知っている外側へ連れて行ってくれるのが特徴のように思います。
私ごとですが、この前、大掃除をしたときにCDを発見しました。
が、迷わず処分しました(笑)
CDを発見したときに「懐かしいな」とほっこりした思い出がでてきましたが、置いておく場所やこのCDの音楽を聴くのかと考えたときに手元になくてもいいやと思いました。
CDを所有するということにメリットよりもデメリットの方が大きかったと思ったからなのです。
一見『無駄』と思えることからの気づき
個人的にはサブスクリプションがどんどんフリクションレスになっていって、所有するデメリットが大きくなってしまったのがここ数年なのかなと感じます。
この間に事業者がユーザーの行動分析から施策を考えたり、先程紹介した収集の心理学の部分などを応用して色々なサービスに活かしています。
ガチャガチャも無駄な行動に見えていたけど、ふと子どもたちの目線に立ってみると普段と違う景色が見えてきました。
(そこからあらぬ方向へ疑問が進んでしまったけど)
今日、モノの思い出よりコトに重きをおくようになってきたんだと思います。
思い出自体が写真ですぐに記録できる環境なので、モノ自体への思い出ができにくくなってきているためなのかなと思ったりもします。
テクノロジーの進化によって行動変容することで価値観や大事だと思うものが変化している時代なのだと思います。
そのことをちゃんと捉えながら業務に活かしていければと思います。
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