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240619_感覚。感触。記憶。

ATMに入金しに行くためだけにずぶ濡れになった昨日とは打って変わって気持ちのいい晴天だったので、散歩に出かけた。
理由も気力もなかったけれど、今日は朝から考え事をしてばかりだったので、部屋に居るよりは歩きながらの方が思考も捗るだろうと思い、履き古して半壊したクロックスに爪先を通して坂を下った。

歩き始めてすぐ、違和感を覚えた。立ち止まって歩道の横に立った標識を見る。触る。右に立ったビルを見る。触る。ざらつく両手。
...なんかやけに立体的じゃないか?頭をゆっくり上下に動かす。地面は俺を押し返し、空は広く俺そのものを包み込んでいる。

この一連の行動、思考回路は多くの人にとって酷く奇妙で幼稚なものだろうけれど。
鬱病と離人症になって以降TPSクエストゲームだった俺の視界が、突然FPSオープンワールドにアップデートされたような感覚だった。

身体と意識と感覚が上手くリンクしてここに立っているという存在感。有り触れたその感が俺にとっては久しく、嬉しく、その儚さを憂い、改めて確かめるように深呼吸をした。

そうして再び歩き出し、目に入った小学校の鉄棒を見て、ふと今の自分は逆上がりが出来るのだろうかと気になった。インターネットに引きこもって4年。一時期はマウスさえも重く感じるほど筋力は低下していた。

よし、やってみよう。
一度起き上がってからの行動力には自信があるし、すぐに霧散してしまうであろうこの現実感が薄れないうちに普段やらない事をしたいと思い、現在地から1番近いであろう公園へと軽やかに歩く向きを変えた。

たまに横を通る事はあったものの、まるでテクスチャだけが描かれた背景のようになっていた公園に踏み入れ、遊具へ向かう。
怪我でもしないだろうかとやや緊張しながら3つあるうちの1番高い鉄棒に順手で手をかけると、懐かしい感触が脳をくすぐる。
そのまま腕と身体を引き寄せながら地面を蹴った。

出来ちゃった。
まじか。
一度降りて、逆手でも試してみる。
やっぱり出来た。
調子に乗ってそのまま上半身をしならせて下半身を振り、空中逆上がりを試してみる。

流石に無理だった。
全然振れなかったし体幹と腕力が弱すぎて身体が離れてしまった。

そういえば幼稚園〜小学生の頃は体操教室に通っていたし、そこで鉄棒もやっていたんだった。感覚って意外と残っているものだなあ。

その後もうんていをギリギリクリアしたり、ブランコで酔ったり、大人が遊んでも大丈夫そうな遊具を選んでひとしきり遊んだ。

公園には木や木で覆われた屋根付きベンチがあって日影が多かったけれど、日差しも負けじと射し込んで魚のように揺蕩う木漏れ日を描いていた。

ここでもまたぐるぐると周りを見渡し、深呼吸をした。
最後に何気なく出口の錆びた柵を握ると、手のひらがザラザラと痛み、日光の熱がじんわりと伝わってきて、「ああ、覚えておかなくちゃな」と思った。

公園を後にして帰路につく。
紫陽花が咲いていたのでいつものように写真を撮ろうとしていると、通りがかったご婦人がこっちの紫陽花も綺麗ですよ」と声をかけてくれた。
「これはガクアジサイって言うんです。こっちは〜」と丁寧に紹介までして貰い、初対面の他人の優しさに触れた嬉しさと気恥しさを両手に込めて沢山写真を撮った。

引きで撮ろうと後ろ向きにステップを踏むと、前述の履き古して半壊したクロックスから素足が飛び出て、陽の光に熱されたアスファルトを直接踏んだ。この感触も懐かしく心地良い。
(こんな些細な出来事さえも記録しておきたいと思ってしまう程に今日という日を尊く感じた)

家が近づいてきた時、車が道を譲ってくれたので少し駆け足で道路を渡り、なんとはなしに最後の一本道をそのままスピードを上げて駆け抜けた。
爪先と踵にほぼ同時に体重がかかるフォームのの感覚、伸び縮みするアキレス腱の感触、風を切って走っていた頃の記憶、身体全体が同期している。

逆上がりの感覚と感触と記憶が生きていて再現出来たように、陸上部だった頃のそれらもやっぱり生きていた。

これを書いている今はまた、意識に霧がかかって身体が遠くなったTPS状態に戻ってしまった後だ。
だからこそ、写真と共に残しておいたメモを余す所なくしっかりと文章に起こして、今昔の感覚と感触と記憶を記録しておきたかったのでした。

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