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240510_この浮かれフルーツポンチ絵!

写真はこの前(4月中旬)散歩した時に撮ってきた葉桜。桜を見に行こうと思ったらもう殆ど散っていたし、それを載せている今はもうきっと新緑鮮やかな頃だろう。

最近納品した制作物でちょっと褒められたからってしばらく浮かれて、その反動でめっっっっっちゃ鬱。
俺は一体何回繰り返すんだこれを。

・そういえば浮かれポンチのポンチとフルーツポンチのポンチとポンチ絵のポンチって全部語源違うらしい。

浮かれポンチ→ぽんち(坊ちゃんを意味する関西弁)から
ポンチ絵→イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」に由来する「ジャパン・パンチ」という日本初の漫画雑誌から
フルーツポンチ→カクテル「パンチ」に果物を加えたものを、当時流行っていた上記「ポンチ絵」とかけて名付けられた

フルーツポンチの由来の1つにポンチ絵があるけれど、元になったイギリスの雑誌「パンチ」の由来はマザーグース「パンチとジュディ」で、パンチは人名らしい。

本気で調べるほど気になった訳じゃないのでソースは曖昧。

・昔作って500円で売った手焼きの自主制作CDが、中古ショップに買取価格600円で掲載されていた。1000枚くらい作って持っていこうかな。

真面目に感じたことを言うならば。
中古屋に出回って他の同人創作物達と並んでいる事は嬉しいし、芸術として客観的な価値が付いた(見出してくれた)事は喜ばしいのだけれど、俺生きてるし創作辞めてないから何か複雑な気分だ。

けれど、実際の所創作を辞めてなくとも売るのは辞めてる訳で。
多分、需要を満たせていない事と需要を目にしているのに尚も自分の創作物に胸を張れない事に罪悪感があるんだ。
生きてるだけで感じている罪悪感が飽和して歪んで跳ね返ってハウリングしてる。あああ。

動悸と共に胸から溢れ出す痛みは全身にゾワッと広がって、思考や記憶すらも曖昧にかき消していく。さっきまで何を考えていたのか、今何を思っているのかさえもよくわからない。
それがいつもの事で、浮かれた後の鬱。

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