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240730_脳内壁画を照らしたい

今日の文章めっちゃぐっちゃぐちゃかも。疲れすぎて。

今年は久々にアルバムを作って、冬コミに出たい。じゃあまずは金が必要だ。と、今年の始まり頃に俺は思った。
出来る所までは自分一人でやるけれど、ジャケットやCDへの印刷、イラストの依頼等には当然お金がかかる。

じゃあバイトをしよう。その為に免許を取りたいから、その為に髪を切ろうって服を買おう。簡単なスキンケアやメイクも覚えよう。面接を受けてみよう。やっぱりスケジュール自由にしたいからまずは単発で働いてみよう。そのお金で自転車を買おう。電話をしよう。体力作りもして、その為にも食事に気を遣おう。

4年かけて分厚くなった自意識の塔に目的という雷を落とし、どうにか少しずつ問題をクリアして、やっと昼間に半袖で外に出られるようになった。

ただ、そうやって少しずつ外向的になってきたとはいえ、鬱や離人症が治ったとかでもなく。
俺の精神のキャパは何も変わっていなくて、相変わらず眠れないし現実感はめったにやって来ないし文章は頭に入ってこないし死にたいし。
やる事や出来るようになった事が多い分、出来なくなった事も多い。
それは俺そのものが変わったわけじゃないと思う。
俺の脳は今電球が切れていて、小さな懐中電灯だけが置いてある。全部は照らせないけれど、見てみたい物があったから少しだけ方向を変えてみた。そんな所。

「夏影」すぎるな、って思って思わず配達帰りに撮った写真。

最近はバイト代で買った自転車を使ってウーバーイーツの配達をしている。
元々散策やサイクリングが好きだったこと、息が上がって足に乳酸が溜まっていく苦しさの中で移りゆく視界や身体を抜ける風が心地良いこと、その後に訪れる筋肉痛が気持ちいいこと。
陸上部時代に刻み込まれた本能が騒いでいた。
まだ始めて1週間程度だけれど、ほぼ趣味みたいな感覚で毎日少しずつ続いている。
シフト等がなく、空いている時間にアプリを起動するだけで良いし、「気が向かなかったら行かなくても良い」というシステムが結果的に気楽かつ積極的に稼働できる要素になっている。

ある知り合いは推しが生き甲斐だと語り、ある知り合いは音楽ライブやアニメ等趣味が多くそれらを満喫する事が生き甲斐だと語り、またある知り合いは家族を養い一緒に過ごす事が生き甲斐であると語った。
生き甲斐って何なのかずっとわからなかったけれど、アルバム完成の為なら何でもやってやるぞってこの気持ちは生き甲斐なのかも。

もしコミケに出られなかったら。出たとして、アルバムを出し終えたら。その時俺はどうなるんだろう。何を灯台として生きればいいんだろう。
的な考えが頭を過ぎりつつも、毎回「この曲作り終わったらもう満足」みたいな事を思って燃え尽きる事を繰り返しているのだから、きっとまた同じように燃え尽きてしばらくしたらまた何かやりたい事を見つけるんだろう。

そんな感じで、某同人サークルの最後のアルバム制作をしています。
完成するといいね。燃え尽きられたらいいね。


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