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240615_あるこう、あるこう

起きて、顔を洗い、身支度を整え、コーヒーを入れて、ボトルに詰め、1時間の散歩をした。
土曜の朝は人が少なくて、なんとなく空気も澄んでいる気がする。
陽射しが心地良かったので、写真を撮りながら細い道を選んで歩いた。

一度外に出たら帰らなければならない、本当はどこまでも歩いていけたらいいのだけれど。
俺は帰り道が苦手だ。外は好きなのに家に帰る道中の憂鬱を避ける為に外に出ないという、面倒くさい生き物だ。

今日は家に帰ることを思考から排除して、坂を登り平坦な道を目指すことだけを意識して歩いてみた。
幼少期に一度だけ通ったような、通っていないような畑に突き当たりノスタルジーを刺激されたり、私道なのか公道なのか通っていいのかいけないのかわからない土の上を見様見真似で歩いてみたり。
それなりに楽しく、順調に足を運ぶ。

トタン屋根が目に付く見知らぬ細道をワクワクしながら歩いていると、陽向が大きく陣取る丁字路に繋がった。
左を向けば「へえこんな所に踏切があったんだ。」と感嘆を覚え、上り坂になっている右を向いて歩みを進める。
おもむろに振り返るとそこは極々見慣れた、毎日のように通っていた事もある風景だった。
何のことはなく、普段目に入っていながらも24年間一度足りとも選ぶことのなかった2択を偶然にも逆方向から踏んでいたのだった。

こうして意外性のない道のりに戻ってきた俺はまた少し帰路の憂鬱に陥っていたのだけれど、ふと住宅街のブロック塀に目をやると、模様として空いている穴の中に石が2つ並んでいた。

1つは大きめの砂利のようなピンク色の石。
もう1つはガラス片のような水晶のような石。
触っていないからなんだかわからないままだけれど。

無意識に足は動きながら、ここに2つの石が置かれた経緯を想像する。
今日は土曜日。ここは小学校と住宅街の近く。丁字路。

2人の小学生が、通学路で見つけた石を「これは綺麗だ、宝物だ」と話し合いながら帰路につく。
でも家に持って帰ると怒られるかもしれない。捨てられてしまうかもしれない。隠しておく場所もない。兄弟姉妹に取られてしまうかもしれない。
そう考えた2人は、次にここを通る月曜日の朝まで誰も触れずに残っている事を祈りながら、確信しながら、約束として塀の中に並べて置き、別れ、それぞれの家へ帰っていったのだろう。

全て想像だけれど。
15年くらい前、石蹴りをしながら通学路を帰っていた時には同じような事をした気がする。
"今日はここまで蹴った。明日は家の近くまで蹴るぞ"、と路傍にひっそりと置いて、「明日もここにありますように」とどこか確信めいた祈りを心に秘めていた。

なーんてことを勝手に考えたり思い出したりしていているうちに家についていた。
散歩って家と外の往復だと思っていたけれど、家を出て内に帰る、今日はそんな散歩だった。

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