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ほんもの、かりもの、にせもの
言葉は、言うよりも書く方が好きだなと思った。好きというか得意というか。
咄嗟に自分の思っていることや考えていることを言うのが苦手だなと実感することがあった。
結論から言いたいのに、変なところで「〜なんだけど、」と言って一旦保険をかけて発言している。
話しながら下書きしている感じ。
あと声がゴニョゴニョする。発言に自信がないんだろうな。
それに対して、文字に起こす作業はじっくり考えて言葉を選べる。だから、ある出来事を見て思ったことをその場で発言するか、感想文や反省文みたいに一度持ち帰って書くかでだいぶ質がちがってくる。
先にも述べたが、わたしは後者が好きだ。
しかし、ふと。
人を褒めるときや、手紙を書くとき、謝罪のメッセージを送るとき、いつも熟考しているけれどそれは本物の言葉なのかと疑問に思った。
考えれば考えるほど、言葉を選べば選ぶほど本物ではない気がするのだ。
咄嗟に出る、はちゃめちゃだけど自分の心の上澄みにある純な言葉。そちらの方が、ほんとうの気持ちに近いはずなのだ。
沈殿したところから取り出した言葉たちも決してにせものではないのだ。
だけどときどき、自分の言葉がうすっぺらくみえるときがある。
しょせん、言葉は借り物だとどこかで見た。
言葉も感情も、自分が読んできた本や見てきた映画などから拝借したものなのだと。
自分のほんものの言葉や気持ちはどこにあるんだろう。今書いているこれも、借り物の言葉たち。
ここまで書いてみて何が何だかわからなくなってきたが、その曖昧さを含めて「言葉」が好きなのだ。
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