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モードは死ななければならない 〜名古屋市美術館「マリー・ローランサンとモード」展〜


会期終了前日に滑り込みで観てまいりました。
ハイブランドのお勉強を少しと、フランス語を少しかじった状態の私で観に行けて良かった!

タイトルは「マリー・ローランサン〜」となっていて、もちろん彼女の作品がメインで展示されていますが、同い年で同時代を生きたココ・シャネルに関する展示・情報もかなりの量&比率で、半分くらいあったんじゃないかな!? という印象。
「マン・レイが撮影した、ココ・シャネルのドレスを着た社交界の女性たちの写真」(情報量が多い)のスライドショーも流れていました。
私の中でマン・レイ=シュールレアリズムの写真家&画家というイメージだったのですが、彼に肖像写真を撮ってもらうのが一時期パリでステータスになっていたそうです。
時代の最先端のシャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうのがステータス……美術史の中の話だなぁとなるのですが、ほんの100年前の現実なんですねこれ……。

展示では、2つの世界大戦の狭間、芳醇な文化の華が咲き誇ったヨーロッパで、時代の波をリードした2人の女性の物語が並行して描かれ、100年後、シャネルの2011コレクションで、カール・ラガーフェルドが2人の生み出した作品のエッセンスを融合し、2人の「モード」を蘇らせた、と締めくくられます。

ローランサンとシャネルはそんなに仲が良くなかったんですが(私はローランサンがシャネルを「田舎者」と呼んだエピソードが好きで、作品解説でちゃんとそれに触れられてて嬉しかった笑)、ローランサンはシャネルの帽子屋によくショッピングに来ていたとか(ココ・シャネルのキャリアのスタートは帽子デザイナーだったそうですね)、ローランサンの絵画にも帽子や被り物をした女性が多く描かれるとか、付かず離れずの関係を維持していたのは、なんだか可愛いなと思ってしまいました。

画家として名声を得たローランサン。
彼女に肖像画を描いてもらうのが一種のステータスとなり、舞台美術(衣装と背景)の仕事も成功します。

同時代の「モード」はというと。
1910年代は装飾的で曲線的なアール・ヌーヴォー様式がファッションにも取り入れられ、代表的なデザイナーのポール・ポワレは「帝王」と呼ばれていました。
現代でも人気のある挿絵画家、ジョルジュ・バルビエも、彼のデザインしたドレスをイラストにしています。

ですが1920年代、ココ・シャネルに代表されるアール・デコ様式のファッションが、これにとって替わります。
私の中でCHANELの服=なんとなく直線的、というイメージがあるのですが(コンサバティブなツイードジャケットとか)(あくまで私のイメージです!)、それは恐らく、アール・デコ様式の潮流を受け継いでいるからなんでしょうね。

アメリカでは「フラッパー」、フランスでは「ギャルソンヌ(garçon=少年 に女性名詞化する「ne」を付けて「少年のような女性」という意味を持たせた造語)、日本では「モガ」。
最初は揶揄として使われていたこれらの呼称も、現代ではファッションスタイル用語として、時代を切り拓いたガールズ・パワーを連想させます。

ですが、第二次世界大戦と前後し、ローランサンの絵画はナチスによって「退廃芸術」とされ、シャネルの洋服もフランスでは評価されなくなります(代わりにアメリカで成功)。

1930年代のランバンのドレス

「モードは死ななければならない」。ココ・シャネルの言葉です。
それまでの「モード」を”殺し”、新たな「モード」を築き上げたココ・シャネル自らがこう語っていることに、重さと憧れを感じました。
「モード」は常に「最先端」のものであるべきなので、常に新しい次のものに取って代わられなければならない。

最初に触れたように、展示はシャネルの2011年春夏コレクションで締めくくられます。
カール・ラガーフェルドがシャネルの「型」に、マリー・ローランサンの「色彩」を流し込んだコレクションです。
一度「死に」、過ぎ去ったはずのココ・シャネルとマリー・ローランサンの「モード」は、ラガーフェルドの解釈により21世紀に蘇りました。
死んだからこそ、蘇ることができる、とも、展示解説には書かれていました。

ココ・シャネルがこの2011SSコレクションを見たらどうリアクションするかなぁ、などと想像しています。
喜ぶのか、新しいものを生み出せと発破を掛けるのか、何度リバイバルしたとしても、最初の1回目は私が創りだしたのだ、とタバコをくゆらせてくれるのか……。

ちなみにこの日のわたくし。
年代は違いますが、パリつながりということでロートレックTシャツを着ていきました。

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