〜動物権獲得のために〜

一旦整理しとこうと思いました。

動物権の獲得、それが私の自己存在における最大効用だと確信しているので、私は普段、別にお金稼ぐために仕事したり、お金のこと考えて暮らしてるわけではないんです。

まぁ、もうちょいこの活動を続けたいので餓死とかせん程度には金策も考える必要があるわけではあるのですが、

そんなことは私の日々にとって煩わしいことなのですね。

動物権について考えると、私には良いアイデアはあるのですが、それを大勢に伝えたり、さらには理解してもらえるといった発信力とか社交性とか文章力とかがない。悲しいことに。

つまり、そこら辺の動物大好きおばちゃんのようにNPOを立ち上げて大々的な動物愛護活動を展開したり、自治体の動物愛護委員になったり、セミナーの講師をしたり、というにはなっていかないわけです。

その事実は一年前くらいに分かっていたので、私は思想を置いていく側だということにして、動物権についていろいろと思索して文章化するという地味なことに取り組んでいました。

これは、ルソーを意識した活動です。ジャン=ジャック・ルソーはフランス革命の思想的支柱となった社会契約論を記した哲学者です。しかし、ルソー自体はフランス革命を指揮したわけでもなく、フランス革命の前に死去しています。

おこがましいですが、そんな役回りでも良いかと思っていたわけです。思想だけ残しておけて、たまたま刺さった若者が発信力とか行動力を持っていれば、いつか動物権は獲得されるだろうと。

ただ、自分でもやはり思想を作るだけではなく、それなりの実社会への試行もしてみようと思い始めて、まず行政書士試験で使った行政法について思い出しました。

アマミノクロウサギ訴訟?
そんなものがあったなぁ… と。

権利とは、倫理的な側面もありますが、実効性を持つためには裁判規範性が必要です。

動物に対して権利侵害があったときに、それは良心で照らして止めようぜ、だけだと、心無い人には抑止力にならないんですね。動物への権利侵害に対して、裁判できちゃうぜ、制裁の可能性だってあるんだぜ、となってはじめて、じゃあ止めとくかって多くの人はなるわけですから。

そうだ。動物の名義で訴訟を起こせるんじゃないか、と調べてみたところ、甘くはないようで。

行政訴訟法における原告適格にほぼ引っかかって、動物訴訟は審理までいかないという。原告適格とは裁判を起こす資格みたいなものですね。法体系では原告適格とは、まず人オンリーなんですね。だから、結局、司法権において動物権のアクションを起こすのはあまり効果的な道ではない、直線的なアプローチではないんですね。

原告適格認めろーってアホみたいに訴状出してみるのも一つの手ですが、お金かかりますしねぇ。

原告適格を動物にも認める、って法改正すれば、それで済んじゃう話なので。

つまり、動物権獲得の直線的なアプローチって、結局立法権への働きかけなんですよねぇ、多分。

倫理的な意味ではなく、法規範的な意味での動物権の獲得、それが実効力のある動物権ですからね。

自分も意味のないことも含めて、なんだか色々な動物権議論を読み漁ったりしましたけれど、

ここに動物権獲得の直線的アプローチを整理しておきます。
これは、フランス革命のプロセスを基にしています。(フランス革命といえども、こんなにシンプル且つストレートではないですが、あくまでモデルということで。)

①思想の構築
(フランス革命でいうところの、ルソー)
②思想を次世代の革新的若者に伝達
(フランスの旧体制に疑問を持つに至った若い学識者たち、台頭してきたブルジョワジー階級やロベスピエールのような若き弁護士など)
③立法への反映
(憲法制定議会、国民議会)
④裁判規範、行政規範としての実用の蓄積
(フランス第一共和制?など)

動物権の獲得に向けて、さまざまなアプローチを試みる様々な活動家さんがいらっしゃると承知してみますが、手当たり次第的に色々試してみることとプラスして、この①〜④のプロセスを埋めるような活動や研究を増やしていくことで、動物権は獲得へと近づいていき、そして人類が初めて動物の権利を認める社会に際して戸惑いがある中でも研究の蓄積によりスムーズな社会移行が実現できると思いますので。

偏見で申し訳ないですけど、あんまり上の世代が革新的思想に親和性があるとは思っていないので、基本年配世代を動物権獲得の戦力とは見做していません。もちろん、素晴らしい年配世代の方もいる事は認めます。権力や地位を持つのはほぼ年配世代です。しかし、権力や地位は人を保守的にしてしまいます。なので、動物権議論に関しては、そうした権力者たちにはアプローチしません。あくまで革命的プロセスが重要なのであって、それができるのはこれからの世界を担う若者たちです。

「最近の若者は…」と少しでも思ってしまうことがあるあなた、もうあなたの時代は過ぎたと思った方が良さそうです。
私もその1人です。
若者を否定することなく、若者に未来を託しましょう。若者を排して、年長者がオレオレ自己主張するような事はあってはなりません。

動物の権利も新しい人権感覚の社会に生まれた彼らに任せていくのが良いのです。

雑多な文章ですが、以上。

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