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亀歩当棒録007.南大東島のお地蔵さん(2009年3月)

 八丈島の痕跡を探しに南大東島に来たんですよ―到着早々,宿の主人にそう切り出したら,

 「八丈文化の跡がみたいなら“お地蔵さん”を見なきゃ。あれこそ“ザ・八丈”って感じですよ」

と,すぐさまそんな返事が。ふ~ん,そうですか。そんなもんですか。南大東島のひとからすれば「地蔵信仰=ヤマトンチューの文化=八丈文化」といった連想になるのかな?もちろん八丈島に地蔵はたくさんありますが,わたしの感覚では必ずしも「八丈島=お地蔵さん」というほどではなかったので…ちょっと不思議。

 とはいえ。沖縄県内で地蔵菩薩像が見られるのは珍しく,しかも,それが何体もあるというのですから,やはりここは見逃すわけにはまいりません。自転車こぎこぎ西港方面へと向かってみると…あっ,あった!卒塔婆が立てられていて,なるほどこれは内地っぽいや。石の祠の数は大小あわせて4つ。その中にそれぞれ1体から数体の“お地蔵さん”が。

 まずは手を合わせてから,それぞれの御姿をカメラに収めさせていただくと,真ん中の祠の中に建立の由来が書かれた札があることに気づきました(起筆者名は伏せておきます)。

 この地蔵尊は明治三十三年末に同志玉置半右ヱ門氏と共に南大東島へ開発の為渡来した初期廿三名中の大沢仁太夫の為に建立されたもので明治四十三年三月廿九日死没する迄種々の困苦に堪へ乍ら開発に従事したものであります 祖父は自分の死期を適確に予知し祖母に対し自分の死後は葬儀終了后速かに家族を引連れ内地に返還するよう指示し自分はこの地に留まり永久に島の守護に当るから私の事は一切心配するなとの遺言であったそうです 祖母は祖父の没后内地よりこの地蔵尊を迎へ懇にその霊を葬つた後引揚げました 祖父の没後七十八年を経過し今回永年の夢が実現するに際し金川村長の御尽力で地蔵尊が地元皆様の暖かい庇護のもとに存在が確認され遺族一同限りなき喜びであります この機会に改めて島の開発に尽力された方々の御霊安かれと祈願すると共に益々島の発展を祈念致します 茲に来訪を記念し一札を設けました 昭和六十年八月吉日 遺族代表 ××××

 なるほど。そういったわけあっての“お地蔵さん”だったんだ。

 帰宅してから少しだけ調べてみると,無人島だった大東諸島の開拓が始まったのが1900(明治33)年のことで,この大沢仁太夫さんは第4次移民船のメンバーだったようです。当時どれほどの苦難があったことか。そして,その軌跡を追い求めた御子孫がどのような思いであったか。時間の縦軸で繋がった家族の絆に心打たれました。

 沖縄には珍しい“お地蔵さん”。きっとこれからもずっと南大東島の将来を見守り続けてくださることでしょう。

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