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亀歩当棒録001.青ヶ島でミコさんにお世話になった話(2008年5月)

 あのとき青ヶ島の宿を“Y荘”に決めたのは,島のミコさんで大正生まれの“K子ばぁ”がご健在だと聞いたから。南部伊豆諸島(八丈島・八丈小島・青ヶ島)には独特の民間信仰があって,青ヶ島にはまだそれが色濃く残っていると。琉球のシャーマンはユタと呼ばれるが,南部伊豆諸島ではそれをずばりミコ(巫女)という。これは誰もがなれるわけではなく,ミコケ(霊媒の素質)を持つ人物が,カミソーゼ(神奏ぜ)という儀礼を経て認められる。かつて青ヶ島の祭祀は神主,ウラベ(卜部),シャニン(舎人)と,さらにこのミコが加わって執り行われていた。“K子ばぁ”は30代でカミソーゼを経験し,カナヤマサマ(金山様)というオボシナサマ(産土様/守護神)が憑いたそうだ。

 宿での朝昼晩の三食はすべて“K子ばぁ”の手によるものだった(島には定食屋さんが無かったので宿で三食をとった。そのときの宿泊客はわたしひとりだけだった)。晩ご飯は二人でそのまま夜更けまで宴会。島で獲れたキハダ(キハダマグロ)の刺身やクジラヨ(テンジクイサキ)の和え物,島ラッキョウなどを肴に,“K子ばぁ”特製の青酎のチューハイで盛り上がった。上機嫌の“K子ばぁ”が青ヶ島の神事の祭文を唱え,そのリズムとメロディー,そして語られる神仏混淆の世界に,ここは何処?いまは平成?昭和?それとももっと以前?-と心地よく頭の中が混乱したことを覚えている。まるで島自体がタイムカプセルだった。

 あいにく島での3日間は天気に恵まれなかった。でもそのおかげで宿の車をお借りして“K子ばぁ”と村営サウナへ出かけたり,そのまま島内ドライブをしながら延々とおしゃべりする時間ができた。もうひとつの渡島目的だったオカダトカゲ(伊豆諸島に生息するトカゲ)のことでも,最近は見ますか?-と尋ねてみたら,「ケービョーメ(島の言葉でトカゲのこと)は農薬を使うようになってからいなくなった」と,環境省のレッドデータからは読み取れなかった現地ならではの証言を聞くことができた。島の生活者ならではの貴重なものだった。

 最終日の早朝。前の晩から荒天で,帰りの船が港に着くかどうかを心配していると(八丈島と青ヶ島を結ぶ連絡船の就航率は年間で50~60%ほど。行くこと自体が難しい島なのだ),朝食の支度を終えた“K子ばぁ”が「船は出るから準備をしておけ」と,それまでに聞いたことがない厳かな声で断言をした。慌てて荷物をまとめて,お世話になった礼を述べ,雨の中を三宝港へ向かって歩き出すと,連絡船が港に入る頃にはすっかり快晴。おかげでわたしの青ヶ島旅行は当初の計画どおりの日程で終了となった。神託とか託宣という言葉があるが,まさにその類で,“K子ばぁ”のミコの霊力を垣間見た気がした。

 ヒトよりもカミさまのほうが多い島。青ヶ島はそんなふうに語られることが多い。“K子ばぁ”がこの世を去って久しいが,おそらく島のカミさまたちと一緒に,いまは島の行く末を見守っていることだろう。

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