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亀歩当棒録003.タキワロを見島に里帰りさせたこと(2015年10月)

 初めて山口県萩諸島の見島を訪れたときに泊まった“I旅館”には,廊下や部屋に数多くの絵が飾ってあった。オーナーの娘さんが描いたものだった。とても素敵で印象的な作品ばかりだったので,夕飯のときに思いきってご本人に話しを伺ってみたら,少なからず共通する縁も見つかって,すっかり話し込んでしまっていた。

 そのとき拝見させてもらった彼女の絵本が『タキワロ』(長崎出版,2006)。赤い顔に童の姿をした見島に棲む妖怪で,タキ(島の言葉で「崖」のこと)の上から石礫を落とす悪戯をするとか,あるいは見島牛の化身であるとか,そんなふうに伝わって……否,すでに島ではほとんど語られることのない,もはや忘れられつつある存在とのことだった。カッパやキジムナー,ケンムン,テンジメ等々と同じく,おそらくその正体はかつてこの国の方々に追いやられた小さき神々の記憶なのだろう。

 絵本は,見島の自然や民俗を背景に,妖怪タキワロと海で妻を失った青年イワミサの交流と再生の奇跡を描いていた。その内省的な表現は深い印象を刻むものだった。童話という形をとってはいるものの,大人向けの作品といっていいだろう。

 残念ながら絵本はすでに絶版だったので,帰宅後に古書店で探し,翌年の見島再訪時に鞄にしのばせ,一緒に連れて行くことにした。我が家にやってきたタキワロをぜひ里帰りさせたかった。

 島内を歩いて絵本をめくって構図を確かめつつ,たどり着いた宇津の観音堂。そこは今でも『魂送り』の習俗が行われる島の聖地で,いわばこの世とあの世の境界だ。足下の断崖絶壁を荒んだ風がごぉごぉと音を立てて通り過ぎてゆく。

 ふぅ,さぁ着いた。どうだ,タキワロ。故郷の景色は?

 「風っ子よ ひどぅ吹くなぁ さやさや吹けやぁ」

 絵本の中の童子の,絵本の中の台詞と赤い顔。見島のタキワロの里帰り。

 

 

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