見出し画像

亀歩当棒録011.かつて小岩に存在した台湾料理の銘店(2010年11月)

 かつて小岩には知る人ぞ知る台湾料理の銘店がありました。お店の名前は揚州飯店。台湾出身のご主人と,いつも明るい奥さまの,たったふたりで切り盛りしている小さなお店でしたが,確かな味で連日客足が途絶えることはありませんでした。

 JR小岩駅南口から徒歩で6~7分ほどの場所にあった揚州飯店。ご主人の揚さんは台湾南部のご出身で,1900年代半ばに日本へやってきました。数年間の準備期間を経て小岩で創業。爾来およそ半世紀にわたり街の発展とともに歩んでこられました。主人自ら腕をふるう料理は数多の新聞や雑誌などに採り上げられ,食通たちはこぞって店に通ったといいます。曰く「食は小岩に在り」と。

 わたしが揚州飯店に初めて足を運んだのは平成17(2005)年。当時まだ保育園に通っていた長女とわたし自身の鼻炎の治療のために通院していた耳鼻科のお向かいに店があったのです。年季のはいった外観,お世辞にもきれいとはいえない看板とショーケース,勇気を奮って一歩足を踏み入れてみると狭い店の壁じゅうに貼られた菜譜と記事の切抜き(個人的には好みなんですが,若いカップルで入るには勇気が必要だったかも)。おそるおそる何品か注文して,テーブルに並んだものを一口……これは,うまいっ!

 台湾料理の定番はもちろん,飽くなき探究心で新しいレシピの開発にも余念のなかった揚さん。美味や珍味から奇味,さらには怪味と名づけられたオリジナルメニューの数々はわたしたちを驚かせ,唸らせ(悩ませ!?),そして至福の時を提供してくれました。あまりに品数が多くてすべてを食することは早々に諦めましたが(チャレンジしておけばよかったな)。

 その後,店の味にすっかり魅せられてしまったわが家の面々。以降「外食しようか?」といえば真っ先に「ヨ―シュー?」となるほど,ダントツで贔屓の店になりました。なかでも特に執心だったのは長女で,親のわたしが自転車を留めている間に,ひとりで店に入ってさっさと注文するほどのツウぶり(当時まだ保育園児)。ときには果物やお菓子をお土産にいただいたり,わたしがお酒をいただいているあいだに裏の児童公園で遊び相手になってもらったりと,長女にとってただ美味しいものが食べられるお店というだけでなく,「ヨ―シューのオトーサン」や「ヨ―シューのオカーサン」と触れ合えるかけがえのないひとときでもありました。

 お別れの日は突然やってきました。

 平成22(2010)年11月のある夜。久しぶりに出かけてみると,シャッターが下りたままになっていました。あれ?今日は定休日だったっけ……貼り紙を覗きこんでみると,そこにはご主人の筆で閉店の挨拶が。わたしたち家族にとっては急すぎるお別れ。こんなことならもっとたくさん食べに行って,もっとたくさん話しを聞いておけばよかったと思ってみても後の祭り。「人生足別離」を痛感した次第です。

 小岩で半世紀にわたり多くの人びとから愛された揚州飯店。いまではもう建物も残っていませんが,せめてその記憶を留めておきたくて,今回書き残しておくことにしました。

 さようなら,揚州飯店。たくさんのおいしい思い出をありがとう。

付記:その後も揚さんとは商店街で会えばお茶を飲みに行ったり手紙のやり取りしたりと細々と付き合いがありましたが,平成25(2013)年の春にいただいた手紙を最後に音信は途絶えてしまいました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?