♯〇〇と繋がりたい
「ご馳走様です」
「美味しかったです」
これを言うか言わないかで人間性は大きく分かれると思っている。
言わない人というのは「やってもらって当然」という自己のみ(自己中心ではなく他者が存在していないから自己のみ)の意識であり、他者に不必要にあたる節がある。DV気質なんて大体そうじゃなかろうか?
そしてある飲食店でクレームを目撃したのだが
彼の言い分はこうだった。
・食べたい商品が無かった
・今サイトを確認したが記述が分かりずらい
と言う。
こういうクレームはネット口コミでも度々目撃する。ただの自分の確認不足(もしくは思い込み)が原因であるのだがそれを店側の責任という。自分の非は認めない。
もしも本当に自分は悪くないと思っているならコレもやはり自己のみという事になるだろう。
昨今はこの「自己のみ」という人が増えたような気がしない事もない。自己のみという事は「他者不在」という事だ。
この場合はつまり社会的欲求、帰属欲求、が満たされていない状態とも言える。
よって「#○○と繋がりたい」
このありふれたハッシュタグもまた
他者不在が根底にあると言えそうだ。
誹謗中傷を繰り返す人も
弱さをずっと垂れ流す人も
自己のみ
自分が正しい、自分を理解して欲しい、という意味を孕んでいる為、これも同質と言える。
なんでこんな現象が起こるかと言えば
おそらく理由はシンプルで
人と人のコミュニケーションの方向
「その矢印が逆方向を向いているから」
これだけだろう。
人の原理原則を無視している事が原因。気持ちは人に遣うモノなのに自分に遣っているのだから当然の帰結とも言える。
例えれば
「先に商品ちょうだい。お金は後で払うから」
の状態。あり得ないだろう。たとえ渡すにしても二者間での信用が必要になってくるし、それが無い場合は最早あり得ない。
つまり「与えて欲しければ先ず与えよ」が基本。これを無視しているから「矢印の方向が逆」という事。
しかし、見返りを求めて差し出すというのも褒められたものではない。「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」だ。
そういう光景をみて思い出すのは今は亡き我が祖母の事。
天塩にかけて大事に育てた庭の花を通りがかりの人に「綺麗ね」と言われたらポンポンあげてしまう。そんなばあちゃんだった。
おれもそういう人間になりたいと思うが
中々どうしてうまくいかない。
修行が足りませんね。
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