『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』

『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(吉田尚記著)を読んでみた。

 家の近くのジョナサンで、長居して一気に読み終えた。以前に私は、長谷部誠が『心を整える』で読書ノートをつけていると見て以来、真似をして読んだ本の気になったところや思ったことをメモしている。教育について独学で勉強しているため、偏りがある。佐藤学や河合隼雄、尾木ママ。そんな中に吉田尚記。ノートの中にエンタテインメント性が一気に出た。


 ↑今回のノート。1ページじゃ全然収まらなかった。


 さて、肝心の感想であるが、まさにコミュニケーションという名のゲームの取扱説明書を寄り添いながら綴っているようであった。著者自身がコミュ障だったため、コミュ障特有の考え(『相手に嫌われたらどうしよう』とか『エレベータは気まずい空間でだ』とか)に共感しながら話を進めていく。


 人から興味を持たれなくて当たり前。そんな姿勢を持てるのが最初の意識を変えるポイントなのかもしれない。誰もが「よく思われたい」と願うのは、人間の性であろう。しかし、そんなことを最初から出来れば国民的ヒーローに簡単になれる。まずは、自分の中で利益や不利益を考えずに向かい合うことが大切なのかなと思った。


 そして、「相手が話しやすくする環境を耕す」の重要さが何度も波がやって来る様に伝わってきた。実は、私はコーヒーチェーンのT社で1カ月だけアルバイトをしたことがある。コミュ障なのに接客にプラスして、「アイストールラテお願いしまーす」とドリンク作り役の人ともコミュニケーションを取らないといけない。今思えば、何でこんな苦痛なことに自ら応募したんだろうと不思議に思うのだが……。その中で、「お客さんと目を合わせられない時は、眉間を見つめればいいんだよ」と店長が教えてくれた。多分、見つめる自分の緊張と見つめられて喋りづらくなるお客さんの緊張を軽くさせる術なのかなと振り返ってしまった。そんな術をタモリがテレビの中で自然とやっていたとは……。さすが「コミュニケーション土壌を耕すプロ(今思い付いた)」だなぁ。


 また、『何を訊こうか決めて人に会うが、これを喋ろうと決めて人には会わない」という部分でビビっと来たものがあった。以前「#jz2」で、最後によっぴーからスタンプを押してもらいながら少しの時間お喋りした時だ。とっさに、「相手の方と『これを話す』とか、打ち合わせをしているんですか?」という主旨の質問をした記憶が微かにある。その時もよっぴーは「基本的にしていない」と答えたと思う(記憶間違っていたらごめんなさい)。相手の発言の新鮮さとか新発見とか、相手の興味を深めさせるインパクトとかが薄れてしまうからなのだろうか、と自分なりに考えた。


 そして、一番インパクトがあったのは、面接の部分である。私も一度、とある就活サイトで面接のことを話したことがある。その中で私は、「面接官に『こいつの話もっと聞きてぇ』と思わせたら勝ち」と書いた。それをちゃんとした文章にしてくれたのが、今回のよっぴーの本であった。『自己PRの中身ではなく、話している雰囲気を見ている』、『双方が話すことで意味ある形で転がったときうまくいく』。ちゃんとした文章を考え、記憶し、再生するのではなく、純粋なトークを自分の材料(経歴や体験談など)を使って楽しむことに意味がある。単に予め作った完璧なものを空で読める様になるまで覚えて発表したって、響くことはあんまりないと思う。そして、そんな展開に導く質問者側も質問者側だと思うが。


 一回だけ、「話がうまく転がったなぁ」と会心の面接をした記憶が今でも鮮明に残っている。音楽系の会社での集団面接の時だ。4人で面接を受けた中で、「この間の休日、何をしていましたか?」という質問が来た。急に「遊んじゃえ」と思った自分は、「水樹奈々の座長公演を見てきましたー(デュフフ)」と取り繕わずに喋ったら、すごく話が進んで。「やっぱりアニメ系のイベントすごいよねー」とか「観客が一体になってサイリウム振るのってどうしてできるの?」とか。これは「読書してました」とか取り繕わずに言わなくてよかったなぁと(笑)。やっぱり質問者側は、就活生側に対して素で喋らせるようにすべきだと思う(勿論逆も然り)。上辺だけの会話ほど、面白くないトークはないもん。


 相手への興味や共感は、会話という名の植物の「肥料」となり、「心地よさ」という名の実が出来る。まずは自分という存在を心の中で納得させて、相手の好きなポイントを見つけていく。そして、一人でも多く心地よい沈黙を共有できる人に出会えればなぁと心の底から思った。


追記

 神保町のサイン会で「放送作家向きだよね」と仰って頂いたことがすごく嬉しかった。実際なりたい職業のひとつなので、なれるなら本気でなりたいです。